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「エミシの土器」が東京・多摩で出土 強制移住示す根拠か 坂上田村麻呂、アテルイら活躍の時代

 その結果、見つかった土器は土をひも状に伸ばして両端をつなぎ輪にしたものを積み上げてつくられ、ひものつなぎ目をへらなどで消した痕跡があることが判明。

 この時期の関東では、ろくろを使った土器作りが主流で、色付けや製法の特徴は岩手県北上市を中心とした地域で8世紀後半~9世紀前半に作られたものと、一致していることが分かった。こうした土器が東北地方以外で発見されるのは極めて珍しいという。

 土器は9世紀前半ごろの建物跡とみられる場所から出土。内側が黒く塗られた土器も多数見つかった。建物跡にはかまどの跡とみられる遺構もあったが、火をたく際に煙を排出するためとみられるトンネルがこの時期の関東のものより長く、これらもエミシに見られる特徴という。

 8世紀後半~9世紀前半は、平安京が造営されるなど奈良時代から平安時代へと移行する前後。朝廷から征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)や、エミシ側の指導者「アテルイ」らが活躍した時代に当たる。

 「東北38年戦争」とも呼ばれる朝廷とエミシの戦いは朝廷側の勝利に終わり、「俘囚(ふしゅう)」「夷俘(いふ)」と呼ばれる帰順したり捕虜になったエミシたちが、関東から九州まで各地に移住させられた。

 こうした移住は「移配」と呼ばれ、平安時代の文献「延喜式(えんぎしき)」にも記されている。勢力を分断したり、労働力として使役したりするためだったと考えられているが、各地に散ったエミシがどのように生活したかは、文献や痕跡も少なく、不明な点も多い。

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