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三・一独立運動で日本にエール 法王は天皇に連帯を求めた 「軍服の修道士 山本信次郎」

初来日したローマ法王、ヨハネ・パウロ2世と会見される昭和天皇=昭和56年2月24日
初来日したローマ法王、ヨハネ・パウロ2世と会見される昭和天皇=昭和56年2月24日
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 その山本のフランス語の通訳により、皇太子と法王との会話はスムーズに進んでいった。

「天皇陛下から、よろしくとの伝言があります」

「ありがとうございます。陛下のご病状はいかがですか」

 この後、互いに土産物の贈呈が行われる。

 第124代の天皇となる皇太子殿下と、第258代の法王。建国以来、世界に冠たる伝統を誇る日本の皇位継承者と、キリストの弟子、ペトロ以来2千年近く、綿々とその地位を受け継いできたローマ法王との、初めての出会いだった。

 法王はここで「珍田(ちんだ)さんもお入りください」と、書斎の外に控えていた供奉長の珍田捨巳(すてみ)を招き入れた。

 珍田は駐米大使などを務め、「日本語よりも英語がうまい」といわれた外交官である。朴訥(ぼくとつ)とした人柄もあって、供奉長に選ばれていた。

 ■朝鮮独立運動で日本にエール

 皇太子の訪欧の過程を詳しく記録している『昭和天皇実録』は、このとき法王が語った内容について、多くを記していない。

 だが通訳にあたった山本信次郎は、帰国直後の9月5日、東京女高師で「東宮殿下の教皇庁御訪問」と題して講演(謹話)を行い、詳細に触れている。それによると、法王からは、儀礼的なものを通り越して、相当にきわどい政治的な発言が飛び出していた。

 法王がまず取り上げたのが、2年前の大正8(1919)年3月に起きた朝鮮半島での「三・一独立運動」だった。

 日本は明治43(1910)年、韓国を併合、ソウルに朝鮮総督府を置いて、朝鮮半島を統治下に置いた。

 当時の日本には、韓国を併合する合理的理由があった。だが当然のことながら、朝鮮人のこれに対する反発や、独立を求める声は強かった。それが表面化したのが「三・一独立運動」だった。

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