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三・一独立運動で日本にエール 法王は天皇に連帯を求めた 「軍服の修道士 山本信次郎」

特別馬車でバッキンガム宮殿へ向かわれる皇太子。右は英国王ジョージ5世=大正10年5月9日
特別馬車でバッキンガム宮殿へ向かわれる皇太子。右は英国王ジョージ5世=大正10年5月9日
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 居間の前に着くと、法王ベネディクト15世が部屋から出てきて、一行を出迎えた。法王は我が子のように、皇太子の手を握り書斎に招きいれる。

 7年前の1914年、法王に選ばれたベネディクト15世は66歳。西洋人としては短躯で、「慈愛に満ちて穏やかな」といった歴代法王のイメージとは異なり、鋭い眼光の持ち主だった。

 終わって間もない第一次世界大戦中に、和平をうながす回勅を出したり、戦後のヴェルサイユ条約の内容を批判したりした。表情さながらに、国際政治に対して、鋭い発言をしている法王だった。

 書斎に招かれたのは皇太子殿下と、「輔導(ほどう)」役として訪欧に同行している皇族の閑院宮(かんいんのみや)載仁(ことひと)殿下、それに供奉員中、唯一人のカトリック教徒である山本信次郎海軍大佐だった。

 山本はこのとき43歳。海軍兵学校から海軍大学を卒業したエリート軍人であり、日露戦争では旅順港閉塞作戦や日本海海戦にも参戦した「歴戦の雄」だった。だがそれより、山本の名が知られたのは「海軍一のフランス語つかい」「国際通」としてだった。

 少年時代、カトリック系の暁星中学で学び、洗礼を受けるとともに、寄宿舎で4年間、フランス人修道士らと寝食をともにするうちに、ナチュラルともいえるフランス語の語学力を身につけた。

 日本海海戦にさいしても、連合艦隊の秋山真之(さねゆき)参謀とともに、降伏したロシア艦隊の艦船に乗り込み、フランス語で降伏条件の交渉にあたった。

 またカトリック信者だったことから、イタリア大使館付海軍武官時代は、ローマ法王庁内に太いパイプを築いていった。

 大正8(1919)年暮れ、皇太子にフランス語を「御進講」するため、東宮御学問所に御用掛として入っており、そのままフランス語通訳などとして訪欧に供奉していたのだった。

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