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三・一独立運動で日本にエール 法王は天皇に連帯を求めた 「軍服の修道士 山本信次郎」

初来日したローマ法王、ヨハネ・パウロ2世と会見される昭和天皇=昭和56年2月24日
初来日したローマ法王、ヨハネ・パウロ2世と会見される昭和天皇=昭和56年2月24日
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 ローマ法王の38年ぶりの来日を機に、『坂の上の雲』にも登場しながら、これまで知る人ぞ知る存在だった愛国のクリスチャン軍人、山本信次郎(1877~1942年)の初の本格評伝が出版された。本紙客員論説委員・皿木喜久著『天皇と法王の架け橋 軍服の修道士 山本信次郎』(産経新聞出版)。カトリック教徒の海軍軍人として日露戦争を戦い、昭和天皇の側近として「バチカン」との架け橋となった人物だ。同書の中から、昭和天皇が皇太子時代に訪欧した際、朝鮮半島での「三・一独立運動」をめぐり、当時のローマ法王が皇太子に連帯を求めた秘話を抜粋した。ネットでのご購入はこちらへ。

●124代と258代、初めての出会い

 大正10(1921)年7月15日夕、皇太子・裕仁親王殿下の姿は、イタリア・ローマ市のテベレ川右岸のローマ法王庁にあった。

 いうまでもなく、後の昭和天皇である。まだ20歳になったばかりだった。陸軍正装に身を包み、初々しさを漂わせておられた。

 皇太子はこの年の5月から、イギリス、フランスなど欧州各国を歴訪中で、ローマ法王庁は、その最後の訪問地だった。

 ローマ法王庁が「バチカン市国」として、正式に独立するのはこの8年後のことだが、世界中の信者約3億人(当時の推定)というカトリックの総本山であることに、変わりはなかった。

 皇太子とその供奉員(お供)たちの一行を乗せた車は、サンダマン内廷の入り口に着いた。法王庁で最も有名な聖ピエトロ大聖堂の北側、バチカン宮殿の一角、法王の居室がある建物である。

 軍旗を持った儀仗兵が整列して出迎え、軍楽隊が「君が代」を演奏した。

 3階にある法王の居間まで階段を上っていく途中では、甲冑(かっちゅう)で身を固め、長槍を持ったスイス兵たちが先導し、一行はまるで中世のヨーロッパに来たような錯覚にとらわれた。

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