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【歴史の転換点から】大獄に死す-松陰と左内の「奇跡」(3)死しても生きる-釈迦や楠公のごとく

「この人を見よ」

 情深くありながら、宗教や信仰を近代的な理知の目でとらえていた松陰はまた、近代的な自我をもった人だった。それがもっとも顕れているのが彼の草莽崛起(そうもうくっき)論である。

 「義卿(松陰のあざな。ここでは自称)が崛起の人なり。獄さえ出ることができれば義卿は一人でもやる-といえば粗暴に聞こえるが、それが志なのだ。僕の志がまず定まり、それをみなにはかって同じ一つの志となす。これについて義卿は随分と自負している」

 やはり安政6年の春、松陰と門弟たちや同志たちとの関係がどん底にあるなかでもただ一人、松陰のために命を捨てようとした野村和作(靖、後の内相・子爵)にあてた手紙の一節である。松陰は「義卿が崛起の人なり」と「義卿は随分と自負している」の部分の一語一語の右に「○」を付けて強調している。また、この手紙の末尾にはこう記されている。

 「義卿、義を知る。時を待つ人にあらず。草莽崛起。どうして他人の力を借りることがあろうか。

 おそれながら天朝も幕府、わが藩もいらぬ。ただこの痩身(そうしん)一つが必要。とはいえ、義卿は義に背くような人間ではない。ご安心、ご安心」

 松陰を貫く強烈な自己意識がうかがえる。近代を代表するドイツの哲学者・思想家、ニーチェの遺著ではないが、「この人を見よ」の感がある。

 近代的な精神と理性のさきがけでもあった松陰は没後、神となった。生前にもし松陰と出会うことがあれば、その考え方や行動に共通することが多々あり、意見を異にすることでも、忌憚なく議論できる真の友となったであろう左内もまた、維新後、神となった。しかしながら…。

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