PR

ライフ ライフ

【お城探偵】沖縄・首里城火災を受けて 豊かな歴史、多様性映す象徴 千田嘉博

その他の写真を見る(2/2枚)

 つまり、グスクは東アジアの大陸の城と、大和スタイルの城の優れた点を併せ持つ城だったのだ。そして琉球を統一した尚(しょう)氏が、石垣のグスクの集大成として15世紀に首里城を築いた。首里城は安土城や大坂城、江戸城と並ぶ、もう一つの天下人の城だった。

 首里城は正殿に至るまでに、歓会(かんかい)門、瑞泉(ずいせん)門など多数の門を連ねたが、これらは「枡形(ますがた)」と呼ぶ、門と広場を組み合わせた防御施設だった。中枢部を守った連続枡形の防御空間は、江戸城にも認められた。つまりグスクと大和スタイルの城は守りの方法にも共通性も備えた。そして、注目すべきは首里城が江戸城よりもおよそ100年も前に、複雑な連続枡形を実現した先進性である。

 火災で失われた首里城の再建は、決して沖縄だけのことではなく、城を通じて私たちの国の歴史の多様性と豊かさを取り戻すことだと思う。一日も早い首里城の復興を願いたい。 (城郭考古学者・千田嘉博)

【用語解説】首里城

 標高100メートルほどの珊瑚礁の丘の上に築かれた琉球王朝の王府。15世紀に琉球を統一した尚巴志(しょうはし)が付近を首都に定めたころから、現在の規模になったとされる。1879(明治12)年の琉球処分で王国が途絶えた後も建物は残り、1925(大正14)年には正殿が当時の国宝指定を受けた。太平洋戦争ですべての建物が焼失。1958(昭和33)年に守礼(しゅれい)門が復元され、1992(平成4)年以降、正殿などの主な建物が甦った。2000(同12)年に城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界文化遺産に登録された。

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ