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【お城探偵】沖縄・首里城火災を受けて 豊かな歴史、多様性映す象徴 千田嘉博

焼失前の首里城正殿。大陸と本土の共通性、先進性を備えた城だった(千田嘉博氏撮影)
焼失前の首里城正殿。大陸と本土の共通性、先進性を備えた城だった(千田嘉博氏撮影)
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 10月31日未明に発生した首里城の火災は、正殿をはじめ北殿、南殿、二階御殿(ニーケーウドゥン)といった6棟を焼き尽くし、御庭(ウナー)への正門であった奉神門の北側部分などを焼いて、同日昼すぎに鎮火した。まず、沖縄の皆さまに心からお見舞い申し上げたい。そして首里城を守ろうと、懸命な消火活動に取り組まれた方々に感謝したい。

 私もあの朝、ニュース速報が伝える火災の様子を見て涙を流した。首里城は沖縄の歴史と文化を象徴するとともに、日本の城の多様性を物語るかけがえのない存在である。30年もの年月をかけて復元を進めた首里城主要部を火災で失ったことは残念でならない。

 一般に日本の城といえば「本土の城」を思い浮かべる人が多いだろう。日本列島には北海道を中心にアイヌの人びとが築いたチャシがあり、本州・四国・九州には大和スタイルの城、沖縄・南西諸島にはグスクがあった。ひとつの国の、重なり合う時代に、これほど多様な城があったのは世界的にもまれで、城は私たちの国の歴史の豊かさをみごとに反映している。

 グスクは名護市の名護城(ナングスク)のように、もともとは土造りで、14世紀頃に琉球石灰岩を用いた石垣の城へと進化した。同時代の大和スタイルの城は、楠木正成(くすのき・まさしげ)が築いた千早(ちはや)城や赤坂城などのように土造りの山城で、大和スタイルの城が石垣を導入したのは16世紀。日本列島最初の石垣の城は、織田信長や豊臣秀吉のはるか以前のグスクなのである。

 14世紀から15世紀にかけた石垣のグスクの発達は目覚ましく、今見る主要なグスクはこの時期に成立した。グスクは建物配置や石垣の壁で守った点に、東アジアの大陸の城との共通性をもつが、決して大陸の城の模倣ではなかった。

 大陸の山城は土や石の壁で城を囲んで守ったが、壁と城内の平場は一体ではなかった。それに対し、グスクは基本的に城壁とそれで守った城内平場が一体化していて、本州などの大和スタイルの城と共通した。

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