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【本郷和人の日本史ナナメ読み】小笠原氏の軌跡(下)「将軍になれる家」の条件とは

足利尊氏像(騎馬武者像)=模本、東大史料編纂所蔵
足利尊氏像(騎馬武者像)=模本、東大史料編纂所蔵

 ぼくはずっと、執権・北条氏はなぜ鎌倉幕府の将軍にならなかったのか、もしくはなれなかったのか、を考えてきました。この問題を考えだしてもう20年になるのですが、ここへ来て、ようやくぼくなりの答えに到達しました。それは「将軍になることは可能だった。けれどもならなかった。それは北条氏が賢明だったから」というものです。

 言葉を補って説明しましょう。まず桓武天皇の血を引く皇子が「臣籍降下」をして、いわば「普通の人」になり、「平」姓を名乗る。話はここからです。それで、ずっと都に居住して朝廷に仕え、貴族として代を重ねる。これが(1)「貴族・平家」です。それから、朝廷とのつながりは持ちつつ、国司などに任じて活躍の場を地方へ求める。これが(2)「地方官・平家」です。家の格は(1)より下落する。関東で暴れまわった平将門は(2)で、つまり(2)からは武装して「武士」になる家が現れます。さらに(2)からは分家が派生し、その多くは朝廷とのつながりを失っていく。それぞれの地域では有力だけれども、位階や官職を持たない家が多くできるのです。これが(3)「地下(じげ)の平家」で、千葉や三浦や畠山など、有名な関東武士の家がこれです。

 こうして、同時代に(1)と(2)と(3)が存在することになりますが、(3)を束ねて「武士のリーダー、武門の棟梁(とうりょう)」になる家が生まれてくる。その資格を有するのは(2)です。実例となるのは平清盛の伊勢平氏ですね。一方で(3)では、棟梁とは認められない。力を蓄えたから、と実力を根拠に成り上がろうとしても、他の(3)の家々から厳しくとがめられ、よってたかって滅ぼされてしまうのがオチです。

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