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【話の肖像画】女子柔道金メダリスト・谷亮子(44)(2)勝敗分ける「わずかの差」

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盤石で迎えたアトランタ五輪の決勝、北朝鮮のケー・スンヒに敗れた
盤石で迎えたアトランタ五輪の決勝、北朝鮮のケー・スンヒに敗れた

 〈柔道の申し子も五輪の金メダルにはなかなか手が届かなかった。初出場した1992(平成4)年のバルセロナ大会と96年アトランタ大会は銀。娘の受験を見守るような思いで応援した国民も多かった〉

 多くの方々が私の戦う姿を見て応援してくださり、育ててくださったんです。銀メダルは五輪人生の起点です。最初の銀は16歳のときのバルセロナでした。試合の組み合わせは1回戦からハードでした。後に世界の頂点を何度も競い合う選手との対戦が決勝戦まで続きました。「よく頑張ったね」という評価が多かった半面、自分の中では金を目指していたので、表彰台で悔しさがにじみ出ていたのも覚えています。

 4年がたち大学生になり、20歳で迎えた2度目の五輪がアトランタでした。「大本命」と言われましたし、強力な応援もありましたので、自分でも「今度こそ」と思って臨みましたが、結果は目標に達しませんでした。「金メダルじゃなければ」という責任感の重さや強さは初めての五輪とは全く違った感触を得ました。銀も素晴らしい結果なんですけれど。

 アトランタの後は「惜しかったね」「金を目指してまた頑張って」と、皆さんも一緒に金を取りたいという気持ちになってくださっていたんだと思います。2度の銀獲得は意味も本当に深いものがあります。

 〈アトランタの決勝は北朝鮮のケー・スンヒに敗れた。国際大会での実績がほとんどなく、謎の刺客だった。しかも五輪での着衣は、作法に反して右襟を前にして着る「逆襟」だった〉

 ケー・スンヒ選手とは初対戦でした。身長が高くて、体幹がしっかりした相手です。トーナメントは私と反対のパートで、向こうにも有力な選手がいたんですが、勝ち上がってきました。組んでみて稽古量のすごさを感じ取ることができました。

 決勝はお互いに決め手がない試合でした。「やりにくかったの?」とよく聞かれます。誰が勝ち上がってきても、特段変わりはない。でも、オリンピックの決勝で勝つというのは、ちょっとしたことが…。すごくちょっとしたことが、勝敗を分けるんですよね。本当にわずかの差だった。あのときも。

 〈足技、投げ技と先手で攻めた瞬間に足が滑った形で流れ、2人は折り重なって畳に落ちた。判定は相手の「効果」で、これが決勝のポイントに。勝利の女神はまたもヤワラちゃんにほほ笑むことはなかった〉

 この試合を契機に柔道に対する姿勢を大きく一新することになったのだと思います。翌97年、パリの世界選手権で3連覇を達成しました。当時、世界選手権は2年に1度開催されていましたが、世界選手権には世界選手権の戦い方や難しさがありました。

 無名の強豪が多くエントリーしてきます。出場国も参加選手も五輪より多く、試合数は世界選手権の方が五輪を上回っていました。特に五輪前年の世界選手権は最も重要視され、私が金メダルを獲得する度に、物すごいスピードで世界中がオリンピック仕様に研究を重ねて対策を万全にしてくるのです。それは、連覇を重ねるごとに実感していました。(聞き手 森田景史)

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