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【話の肖像画】元厚生労働事務次官・村木厚子(63)(3)本来、人見知りする性格

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小学校入学の頃、高知市内の自宅近くで
小学校入学の頃、高知市内の自宅近くで

 〈大学卒業まで高知県で育った。就職も当初は地元優先で、キャリア官僚は夢にも思っていなかった〉

 小学生の頃からもっぱら本好きで、作家になりたかった。絵の得意な子が絵を描き、私が文章を書いて紙芝居を作っていた。そのうち創作の才能はないと気づき、次に翻訳をできないかと思ったけど、英語の才能もないな、と。中学生になると、理系で研究とかをやってもいいかなと思うようになっていました。

 ただ、家庭の事情で、大学は自宅から通えるところに限られ、卒業後は「仕事を続けられる職業」ということを基本に選びました。地元では当時、民間企業が女子の総合職を採用してくれなかったので、必然的に公務員しか選択肢がなかったんですね。国家公務員の上級職、次は県庁、国家公務員中級職という試験の順番に受けているので、最初に決まったのが国家公務員上級職だったというのは大きかったでしょうね。

 職業に関しては、父親の影響も大きかったですね。私に勉強をさせるのがうまかった。母親はとにかく優しい人。昔ながらの良妻賢母で、「お父さんの言う通りよ」というスタンスでした。

 中学3年で初めてのアルバイトが郵便局の年賀状の仕分けだった。すごく楽しくて、上達するんです。どんどん速くなるのが快感でした。だから、仕事そのものにプラスのイメージがあった。その後もデパートの食堂のウエートレスとかいろいろやりました。春、夏、冬の休みに次の1学期分の小遣いを稼いで暮らすというサイクル。どの仕事でもプロってすごいと思っていたので、えり好みするつもりはなかった。お嫁さんになることだけはあまり考えていませんでした。

 〈意外に思えるが、小学生になるまでは泣き虫で、高校生の途中までは対人恐怖症だったという〉

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