PR

ライフ ライフ

【日本人の心 楠木正成を読み解く】第3章 維新回天の原動力(13)正成の忠誠 異色の天皇支え

『湊川懐古』として明治天皇が詠まれた御製の石碑=神戸市中央区の湊川神社
『湊川懐古』として明治天皇が詠まれた御製の石碑=神戸市中央区の湊川神社
その他の写真を見る(1/2枚)

 明治天皇のご尊影は、ほとんどが軍服姿だ。手にされている御佩刀(みはかし)は、腰反りといわれる手元部分に曲線がある「備前国長船住景光(びぜんのくにおさふねじゅうかげみつ)」とみられる。元亨(げんこう)2(1322)年に刀工・長船派の3代目、景光が鍛えた業物(わざもの)で、竜の浮き彫りがあることから別名は「小竜景光(こりゅうかげみつ)」。楠木正成(くすのき・まさしげ)の佩刀(はいとう)だった伝承がある刀である。明治天皇は、この刀にサーベル状のあつらえを施し、持ち歩かれていた。

 正成への思いが見えるのは小竜景光だけでない。明治33(1900)年7月には、住友財閥から寄贈された巨大な正成の騎馬像を皇居外苑に据えられた。東京美術学校(現東京芸術大)制作で、同校では岡倉天心校長が音頭を取り、仏師として名高かった彫刻家の高村光雲を主任にして取り組んだ。

 銅像は、鎌倉幕府打倒を成し遂げた正成が、隠岐から還幸途中の後醍醐天皇を迎える姿で、高村は回想録『木彫七十年』で「奉公至誠(ほうこうしせい)の志天を貫くばかりの意気でありましたから、この図を採った」とする。明治天皇は26年3月に銅像の原型、木型(きがた)をわざわざ皇居に運ばせ、じっとご覧になっていた。

 この時代は、西欧列強に追いつくために極端な欧米崇拝を進めた鹿鳴館時代の直後で、日本伝統の刀工や彫刻家、鋳造師らが軽視されていた。華美な風潮のなか、明治天皇は奉公至誠という日本の美徳を貫いた正成の佩刀や銅像を身の回りに置かれていたのだ。

 明治天皇は、孝明天皇の急逝で数え16歳で即位された。ときは幕藩体制から近代国家に生まれ変わる維新の時代で、西郷隆盛ら「維新の三傑」をはじめとする並外れた能力を持つ顕官とともに、列強の脅威と戦いながら、国家の土台を築かれた。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ