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忘れられた石は「高槻城石垣」と特定 大阪・槻の木高校事務長の河嶋憲治さん

新設された石の展示場の前に立つ河嶋憲治事務長=大阪府高槻市の府立槻の木高校
新設された石の展示場の前に立つ河嶋憲治事務長=大阪府高槻市の府立槻の木高校

 「初めて見たときは、なぜこんなところに大きな石があるのかと思いました。ほかの事務職員や古くからいる教員にも聞いたんですが、それが何なのか分からなかった」

 大阪府立槻の木高校(高槻市城内町)事務長の河嶋憲治さん(59)は、校内の中庭にバラバラに置かれ、忘れられた存在になっていた7個の石が、実は江戸時代の高槻城本丸の石垣に使われたものであることを突き止めた。そして、歴史や地理を学ぶ地歴部員が地域住民と協力して校門そばに展示場をつくり、7個が整然と配置された。「高槻城本丸の石垣資料展示」という看板が設けられ、由来が一目で分かるようになった。

 さまざまな部署を経験した府職員だが、平成28年に同校事務長に着任。当初、石が気になっていたが、だれに聞いても分からないため、しばらくは関心が薄れていた。

 だが、約1年後、石職人が自作の印としてつけたとみられる刻印が目に入り、再び興味がわいた。「校内に何か記録はないだろうか」と思案。昨年5月から空いた時間に学校関係の資料が保存された「記念室」に通い、段ボール箱やロッカーを開けて手がかりを探った。1カ月ほどたった頃、前身の府立島上高校の昭和52年卒業生に関する冊子が出てきた。

 冊子には、50年の体育館建て替え工事で高槻城本丸の石垣が出土したことが記されていた。市立埋蔵文化財調査センター職員に尋ねると、同年に約90個の石垣の石が発見されたことが判明。ただ、それだけでは、なぜ中庭に7個が置かれているか分からなかった。

 そこで、市立今城塚古代歴史館の森田克行特別館長に尋ねたところ、7個の石は、当時の教員が教材として使うために市教育委員会が残したことが明らかになった。森田氏は発掘時の市教委職員で、このことをよく覚えていた。

 四十数年の歳月が流れ、だれもが存在理由を忘れていた石。ねばり強い努力でその由来を解き明かした。

 「歴史に興味はなかったのですが、謎解きをする推理小説が好き。そんなことが影響したかもしれない」と笑うが、新設された展示場については「末永く生徒や市民に愛されてほしい」と力説する。

 昨年9月と今年5月には、地域住民らと協力して校内にそれぞれ約200株の花を植える催しを手がけた。「学校は地域との連携で成り立っている」と思いを語った。(張英壽)

 【プロフィル】 昭和54年に大阪府入庁。茨木土木事務所や池田土木事務所、広報室、人事室、監査委員事務局、情報公開室などさまざまな部署で勤務。平成18年から2年間は派遣研修として大阪府守口市の金属メーカーで働き、営業や製品開発、工程管理を経験した。28年4月から府立槻の木高校事務長。

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