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ゴッホを変えた2つの出会い ゴッホ展、東京で11日開幕

≪麦畑≫1888年冬、新たな表現を求めてアルルへと旅立ったゴッホだが、その年の初夏、小麦畑を少なくとも10点の油彩画に描いている。見渡す限りに広がる、黄色く燃えるような景色に筆が進んだらしい。画面のおよそ3分の2を占める強烈な黄色の麦畑と、水色の空の対比が美しい。プロヴァンスの澄み渡った空気が香ってくるようだ。フィンセント・ファン・ゴッホ 《麦畑》 1888年6月 P. & N. デ・ブール財団(c)P. & N. de Boer Foundation
≪麦畑≫1888年冬、新たな表現を求めてアルルへと旅立ったゴッホだが、その年の初夏、小麦畑を少なくとも10点の油彩画に描いている。見渡す限りに広がる、黄色く燃えるような景色に筆が進んだらしい。画面のおよそ3分の2を占める強烈な黄色の麦畑と、水色の空の対比が美しい。プロヴァンスの澄み渡った空気が香ってくるようだ。フィンセント・ファン・ゴッホ 《麦畑》 1888年6月 P. & N. デ・ブール財団(c)P. & N. de Boer Foundation
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 フィンセント・ファン・ゴッホが画家となることを決めたのは1880年8月、27歳のこと。そして1890年に37歳で亡くなるまでの僅か10年間に、ゴッホは理想とする絵画表現を求めて試行錯誤を繰り返した。彼は多くの芸術的な遺産から学んでいる。その遺産には、レンブラントやミレー、浮世絵版画など、我々が良く知る先達が含まれているが、ゴッホが学んだのは過去の「レジェンド」だけでない。同時代の絵画芸術との邂逅(かいこう)、対話によっても、ゴッホは自らの芸術を発展させていった。その同時代の芸術とは、19世紀後半に、オランダ、そしてフランスを席巻していた芸術動向-「ハーグ派」と「印象派」であった。

 今回の「ゴッホ展」は、フィンセント・ファン・ゴッホの芸術を、ハーグ派/印象派と比較しながら検証するものだ。「印象派」については改めて説明の必要はないだろう。しかし「ハーグ派」については、ほとんどの方はピンとこないのではないだろうか。

 「ハーグ派」とは、オランダ南西部の海浜の町ハーグにあつまった画家たちのことだ。田園風景と穏やかな浜辺の広がる風光明媚(めいび)なハーグの景観をモティーフとしたこの画家たちは、同時にオランダが誇る17世紀の風景画の要素をリバイバル的に取り込んでいた。その自然主義的な風景・風俗画は、フランスのバルビゾン派と並び、ヨーロッパ近代絵画の先駆けとされている。ハーグ派が注目される、というだけでもこの展覧会は興味深いと言える。ゴッホが画家を目指し始めたとき、彼の故国では、このハーグ派絵画がオランダで輝きを放っていた。そしてゴッホは画業を始めるにあたり、彼らの芸術を学ぶ環境にあったのだ。特に、当時のオランダ画壇の重鎮ヨゼフ・イスラエルス(1824~1911年)や、ゴッホの親戚でもあるアントン・マウフェ(1838~88年)は、ゴッホにとって生涯にわたる重要な手本となった。

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