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【本郷和人の日本史ナナメ読み】広島と浅野家(下)「神君の血筋」は最強の武器

 本多忠勝は自らは戦奉行として関ケ原を疾駆したものの、本多勢は徳川秀忠とともにあって、決戦には間に合わなかった。それで伊勢の桑名10万石に転封のみ。ただし、大多喜領は次男の忠朝に5万石で残されたので、本多一族としては5万石の加増。これに対し、榊原康政は自身の軍勢とともに秀忠についていた。結果、戦っていないと見なされ、加増なし。ええー、これまでの康政の長年の働きに報いるのに、3万石くらい加増しても罰は当たらないでしょうに。でもあくまでもドライにゼロ査定なんですね。

 彼らへの褒賞には、まさに「ケチな家康」の面目がよく表れています。でも例外はあって、娘婿には大盤振る舞い。次女・督姫の夫、池田輝政は岐阜城攻めでこそがんばったものの、関ケ原では南宮山(なんぐうさん)への備えとして戦わなかった。でも、三河・吉田(豊橋)15万石から播磨・姫路52万石(のち一族で92万石)へ。三女・振姫の夫、蒲生秀行は宇都宮を守って何も動かなかったにもかかわらず、宇都宮18万石から会津60万石へ。榊原の「ゼロ査定」と比べてみると、「大甘」と評さざるを得ない。

 家康の娘が生んだ男子は、「神君の外孫」として重んじられました。また、その直系男子も多少の失敗は大目に見てもらえる。たとえば長女・亀姫の血を引く奧平昌能(まさよし)(1633~72年)という殿さまがいました。この人、チョンボを2度やっている。

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