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【歴史シアター】まるで城 鉄壁の貴族邸 源平の争乱…京都・宇治「松殿」跡に土塁

 その後、打倒平氏で挙兵した木曽(源)義仲が倶利伽羅(くりから)峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。基房は義仲と結んで復活。子の師家(もろいえ)を摂政とすることに成功したが、義仲が源頼朝の軍勢に粟津の戦いで敗れて死亡。基房は政界を退いた。

◆藤原氏の施設多数

 松殿周辺では平安時代になって、藤原氏関係の墳墓や建物などの施設が多く設けられている。松殿のすぐ東側には藤原師実(もろざね)(1042~1101年)の「京極殿」があったとされる。ほとんどは平地に建設されているが、松殿だけは丘陵地にあり、しかも頑丈な土塁に囲まれていた。大野さんは「(松殿は)一般的な邸宅でない可能性を、想定すべきかもしれない」と指摘する。

 松殿山荘を建てた茶道山荘流の流祖、高谷宗範氏のひ孫で松殿山荘茶道会代表理事の平岡己津夫さんは「(高谷氏が)大正7年にここの土地を購入したときは、京極殿跡も含まれており、そこにも土塁があったと聞いている。今は住宅地で発掘は難しいが、(基房の40年前の)師実のころから土塁があったことの意味も考えなければ」と話す。

 平氏との対立、源平の争乱の中に、身を置いた基房。松殿は貴族の憩いの場ではなく、身を守る場であったのかもしれない。

     ◇

■あの松方正義が命名、国の重文に

【用語解説】松殿山荘

 茶道山荘流の流祖・高谷宗範(恒太郎)氏が大正7年、書院式の茶道を復興する目的で、雑木林となっていた「松殿」跡を購入。高谷氏が設計し、大正から昭和にかけて15年かけて整備した山荘。12万平方メートルの広大な敷地に大書院や中書院からなる本館、研修施設、茶室群などが広がる。本館の大玄関は江戸時代の豪商・天王寺屋五兵衛の屋敷の玄関を移築したという。松殿山荘は高谷氏と親交が深かった明治時代の首相、松方正義によって命名。建造物12棟は国の重要文化財に指定されている。

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