PR

ライフ ライフ

【日本人の心 楠木正成を読み解く】第3章 維新回天の原動力(11)新国家建設 命惜しまぬ覚悟

桂浜の坂本龍馬像=高知市
桂浜の坂本龍馬像=高知市

 〈文久三年(一八六三) 勝海舟・坂本龍馬参詣〉

 楠木正成(くすのき・まさしげ)を祭る湊川神社(神戸市中央区)の『大楠公墓所年表』にはそう記されている。幕末の風雲児・龍馬もまた、薩長などの志士と同様に、正成の墓所に参ったのである。

 文久3年は、幕臣の海舟が幕府から、神戸海軍操練所の設立と、私塾を開いて海軍技術を教えることを許可された年だ。前年に土佐藩を脱藩した龍馬は、海舟に入門し、海軍操練所の資金援助を求めて奔走していた年でもある。

 師の海舟とともに参詣したときのことを詠んだ龍馬自筆の和歌が、京都国立博物館(京都市東山区)に所蔵されている。

 〈湊川にて 月と日の むかしをしのぶ みなと川 流れて清き 菊の下水〉

 幾歳月の昔をしのばせる湊川の底流には、菊水(楠木正成公の志)が今も清く流れているという歌は、その志は龍馬自身の中にも流れているという自覚の表れと解釈される。さらに、幕末維新ミュージアム・霊山(りょうぜん)歴史館(同)の木村武仁学芸課長はこう付け加える。

 「『月と日』は長い歳月を表すだけでなく、日月(じつげつ)の旗、つまり錦の御旗を意識した言葉でしょう。龍馬の意識の中では、日本は天皇が治める国で、徳川将軍は一時的に政治を任されているにすぎない。欧米列強の植民地にならないために必要なら幕府を倒して、天皇中心の国に戻すべきだという考えがあった。単なる公武合体派ではなかったのです」

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ