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【話の肖像画】第31回世界文化賞受賞 歌舞伎俳優・坂東玉三郎(69)(3)大好きな歌舞伎、運命の出会い

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 自分が歌舞伎を見始めたのがいつからか…というのは、実ははっきり記憶にないのです。客席で静かに見ていられた年齢ですから、多分、5、6歳ではないでしょうか。

 〈玉三郎さんは昭和25年、東京の一般家庭に一人っ子として生まれた。幼い頃から芝居が大好き。幼稚園にも小学校にもなじめなかった少年は歌舞伎座などの劇場に通っていたという〉

 子供の頃、鮮明に覚えている舞台もあります。「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」ですね。大変美しかったという思い出がはっきりと残っています。六世中村歌右衛門さんの花魁(おいらん)・八(や)ツ橋(はし)でした。あの美しさ、それから最後に切られて死んでいく姿というのも印象深いものでした。舞台となった江戸の吉原の仲之町の華やかさも記憶に残っています。ああいう世界というのは本当に素晴らしいと思っていたんです。

 幼い頃から、歌舞伎座や、浅草の国際劇場に通ったりして、客席でお芝居を見ていたということが、幼い頃の私の思い出でございます。

 ただ、自分がその世界に入っていけるか、ということは小さいときはわかりませんでした。けれども、運命といいますか、運良く歌舞伎の世界に入って、今日を迎えられていることは、不思議な思いがいたします。

 〈後に、『籠釣瓶花街酔醒』のヒロイン、八ツ橋は、玉三郎さんの当たり役のひとつとなった〉

 私は大変運の良かった人間だというふうに、今、思うのです。歌舞伎俳優になりたいという強い思いがあって、それを目的に歩んできたというのとはまたちょっと違います。お知り合いの方から紹介され、「踊ってみたら」と言われたり、「腰元役で出てみたら」とおっしゃっていただいたりして、歌舞伎の舞台で子役をやっておりました。そのなかで、養父(十四世守田勘弥(もりた・かんや))に「養子にならないか」と声をかけていただきました。

 〈31年に十四世勘弥さんに弟子入りした玉三郎さんが、勘弥さんの養子になったのは39年、14歳のときだった〉

 この世界に入ってからは、二代目の(尾上)松緑(しょうろく)のおじさま、十七代目の(中村)勘三郎のおじさまに若いときから抜擢(ばってき)していただき、いただいたお役を精いっぱい勤めさせていただきました。私が選んでこの道に進んだという思いよりも、いただいたものをとにかく懸命にやってきたら、今日になったという思いしかないんですね。

 〈玉三郎さんは、歌舞伎の舞台だけでなく、数多くの舞踊公演を開催している。以前のインタビューで、「私にとって踊りはとても大切なもの」と話していた。「詩や和歌の世界と共通している感じがします。飛躍した歌詞の中に女性の思いがあり、人間の感情の奥深いところに訴える。それを踊りで表現する面白さがありますね」〉

 幼い頃から、音楽に乗って体を動かすことが好きな子供でした。それが、日本舞踊につながっていったのだと思います。(聞き手 亀岡典子)

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