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【書評】『昭和天皇の声』中路啓太著 令和の日本人と重なる物語

『昭和天皇の声』中路啓太著(文芸春秋・1600円+税)
『昭和天皇の声』中路啓太著(文芸春秋・1600円+税)

 すでに昭和史は、歴史小説の範疇(はんちゅう)ではないのか。近年の中路啓太の作品を見ていると、そう思わずにはいられない。昭和5年のロンドン海軍軍縮会議を題材にした『ロンドン狂瀾』以後、昭和史を題材にした歴史小説を、次々と発表しているのだから。本書は、その作者の手になる、昭和歴史小説の短編集だ。

 冒頭の「感激居士」は、昭和10年に起きた相沢事件を扱っている。感情の起伏の激しい陸軍歩兵中佐の相沢三郎が、皇道派の人々の影響を受け、統制派の軍務局長の永田鉄山を陸軍省内で斬殺したのだ。不確かな情報や意見に感化され、天皇を神格化し、ついには凶行に及ぶ相沢。これは、他人事(ひとごと)ではない。彼の姿に、インターネットの偽情報や扇動に踊らされる、令和の日本人が重なり合うのだ。

 続く「総理の弔い」は二・二六事件を題材にしている。蹶起(けっき)軍に襲撃されながら、奇跡的に難を逃れ、屋敷で隠れている総理大臣の岡田啓介。日和見な上司を無視し、3人の憲兵が、岡田救出のために動き出す。

 蹶起軍が占拠した屋敷からの、岡田の脱出劇は、まるでフィクションのようだ。まさに、事実は小説より奇なり。だが“奇”なる事実を手に汗握るストーリーにしたのは、作者の手腕である。皮肉な結末まで含めて、物語の切れ味は抜群だ。

 このほか、二・二六事件を先の話とは違った角度から捉えた「澄みきった瞳」、日本共産党の委員長から天皇主義者へと転向した田中清玄の半生が綴(つづ)られる「転向者の昭和二十年」も読み応えあり。以上の4編を通じて見えてくる、幻想の天皇と、実際の天皇の差異にも留意すべきだろう。

 そしてラストの「地下鉄の切符」で、ついに昭和天皇が主役になる。張作霖爆殺事件に端を発した田中内閣総辞職を中心に、「私はつねに憲法を厳格に守るように行動してきました」という、昭和天皇の一貫した姿勢が、いかにして形成されたかが描かれているのだ。さらに戦後の巡幸で出会った子供の発した言葉に、日本人にとって天皇とは何か、天皇にとって日本人とは何かが、鮮やかに表現されている。本書を読んで、昭和という歴史に、あらためて深い興味を抱かずにはいられない。(文芸春秋・1600円+税)

 評・細谷正充(文芸評論家)

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