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「新鮮な思考の人」 嵐山光三郎氏、ドイツ文学者・池内紀氏を悼む

講演会で俳人・尾崎放哉の魅力を語る独文学者でエッセイストの池内紀さん。「名誉も学歴も人脈も家庭も、すべてを捨てた放哉の自由律俳句には、われわれの夢や願望に通じる現代性がある」と力説した=平成20年1月、鳥取市
講演会で俳人・尾崎放哉の魅力を語る独文学者でエッセイストの池内紀さん。「名誉も学歴も人脈も家庭も、すべてを捨てた放哉の自由律俳句には、われわれの夢や願望に通じる現代性がある」と力説した=平成20年1月、鳥取市

 池内紀(おさむ)さんが送ってくる官製ハガキには、いつも3センチ四方の絵が描かれていた。人間や風景がデザイン化されていて、新刊への書評や近況がやわらかな筆跡で記されていた。私も自慢の絵を描いたハガキを送った。

 絵入りハガキが10枚ぐらいたまったとき、池内さんから「小さな画廊で二人展をやろう」と相談されたが、画廊主人に「二人展をすると、どちらかひとりの絵が売れて、ケンカになる」と言われて中止になった。

 一緒に山の湯へ行くようになったのは30年ほど前からで、そのころの池内さんは東大文学部教授だった。種村季弘(すえひろ)さんたちと酔眼朦朧湯煙句会をやっていて、俳号は黙念。手ぬぐいをぐるぐる廻したハチマキを頭に巻いて共同湯につかる姿は、炭焼き職人のようで、地元の村人に同化していた。

 そのころ私は週刊誌に『ざぶん!』という文士温泉小説を書いていたが、池内さんに「『歌人と温泉』シリーズはぼくが書くので、そっちは手をつけるな」と釘をさされた。

 池内さんが全訳した『カフカ小説全集』の6巻が刊行されたのは2002(平成14)年で、池内さんと連れだって群馬県の山の湯へ行った。池内紀編訳『カフカ寓話集』(岩波文庫)を持って行ったのは、カフカ自筆の絵が7点収められていたからだ。ペン画、あるいは鉛筆による戯画風にノートや日記、手紙、勤め先の官庁用紙にも描いていた。ごく私的な象形文字で、人に見られるとくしゃくしゃに丸めて屑かごに捨てた。かなりの数がのこされている。

 その絵を見て「あ!これだ」と気がついた。池内さんは教授会の会議がうっとうしくて、会議のあいだにメモ用紙に絵をスケッチしていたにちがいない。それが原因で定年前の55歳で退官してしまった。退屈な会議をまぎらわすために、目の前にいる教授の顔や、鉛筆などをスケッチしていたと思われる。

 夕食は山菜が並ぶだけの粗末なお膳でも、ビールがやたらとうまい。池内さんは私の質問を聞き流して、さっさと眠ってしまった。翌朝、朝湯につかると、〆切り寸前の原稿を書いていた。

 書くために旅し、旅するために書きつづけた人である。深く思考してわかりやすく書く。悠悠として精密、注意深く観察して大胆、文献を精査して瞑想にふけり、あきれるほど自由奔放に広がっていく視線。たえず新鮮な思考の人であった。

 今年の4月、半藤末利子さんのプロデュースによる「さらば平成 ズッコケ文人書画展」が銀座8丁目のギャラリー青羅で開かれた。半藤一利、磯田道史、上野徹、坂崎重盛、南伸坊、嵐山のほか池内さんが出品した。池内さんはB4判の「ぼくの自分史」と題した7枚を大きな額に入れて出品して、「ぼくの恋人にあげるんだ」といった。「恋人ってだれかな」と思っていると、その翌日、水緒(みお)夫人がその絵を買い求めにきたのでした。  (寄稿)

 ドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんは8月30日、死去。78歳だった。

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