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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第3章 維新回天の原動力(9) 幼少から憧れ 楠公祭の源流

水天宮の参道横にある眞木神社。眞木和泉守が祭られている =福岡県久留米市(宮本雅史撮影)
水天宮の参道横にある眞木神社。眞木和泉守が祭られている =福岡県久留米市(宮本雅史撮影)
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 今年5月、福岡県久留米市の水天宮で楠木正成(くすのき・まさしげ)の威徳をたたえる楠公(なんこう)祭が行われた。斎主の眞木大樹(まき・おおき)宮司(72)は水天宮の28代目。水天宮での楠公祭は、眞木家で代々踏襲されている。弘化4(1847)年5月25日から毎年行われ、今年で172回目だという。

 楠公祭を始めたのは22代目の眞木和泉守(いずみのかみ)(眞木和泉守保臣(やすおみ))。神職を継ぎながら国学を修める水戸学にのめり込み、久留米藩で尊王攘夷運動に邁進(まいしん)した。薩摩藩や長州藩の志士らと深く関わり、明治維新の礎を築いた人物である。

 眞木が師事した水戸藩士、会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)は天保5(1834)年に著書『草偃和言(そうえんわげん)』で、正成が戦死した5月25日を挙げて〈此日に遇ては(中略)国家に忠を尽さん事を談論思慮して、風教の万一を助け奉るべき也〉と書き、国民が祭るべき日だと解説した。水戸学を学んだ水戸藩の志士たちは正成を崇拝している。眞木が楠公祭を始めた理由は、師匠の言葉にもあった通りだろう。

 眞木は楠公祭に並々ならぬ気概で臨んでいた。歴史学者の平泉澄(きよし)氏は「楠公を祭る-大楠公六百年記念」と題する文章で、安政6(1859)年5月25日、久留米藩に藩政改革を訴えて罪に問われ蟄居(ちっきょ)中だった眞木が、喀血(かっけつ)しながらも楠公祭を執行したことを挙げ、「真木和泉守の誠の心を見ることが出来る」と語っている(雑誌『日本』令和元年7月号より)。

 正成に傾倒する維新志士たちの間でも眞木の崇拝ぶりは際立ち、「今楠公」とさえ呼ばれた。

 眞木宮司によると、眞木が正成と出会ったのは、子供のころに父親から薦められた『絵本楠公記』だったという。

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