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【話の肖像画】国連軍縮担当上級代表(事務次長)・中満泉(56)(6) クルド難民危機で孤軍奮闘

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1991年の湾岸戦争勃発を受けてイラク北部で難民対応にあたった。多国籍軍の戦車の上で
1991年の湾岸戦争勃発を受けてイラク北部で難民対応にあたった。多国籍軍の戦車の上で

 〈湾岸戦争開戦から間もなく、クルド難民危機が始まった。イラクのフセイン政権に弾圧されていたイラク北部のクルド人勢力は1991年3月に武装蜂起したが、信じていた米軍の支援はなく、フセイン政権軍に鎮圧され、容赦のない報復を受けた。数万人が犠牲となり、約200万人のクルド難民がトルコやイラン国境にあふれたのだ〉

 私は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に入って、2年もたっていない若手職員でしたが、クルド難民危機の対応にあたることになりました。

 当時は危機の進展のスピードが速くて、国連も全然対応できず現場も混乱していた。UNHCRのジュネーブ本部からも応援部隊が来ましたが、アンカラの事務所にいた私を含めた数人の職員が最初にイラクとトルコの国境地帯に派遣されることになったんです。

 携帯電話もない時代。人手が足りなくて、通訳もつけずに1人で行けといわれたときは、「まじ?」と思いましたね。

 〈現場に赴くと、難民が多数避難している場所まで車でたどり着くのも困難だと分かった。トルコとイラクの間には約350キロの国境線があり、国境地帯は1千~3千メートル級の山々が連なっているのだ〉

 この山に数千人いる、数百人いるといった情報を集めて状況を把握することが私の仕事でした。国境警備に当たっていたトルコ軍と、つたないトルコ語を駆使して交渉し、車に乗せてもらったりしました。道もないようなところを通ってようやくたどり着くと、ほとんどの難民は山の斜面の崖のようなところにかたまって、着の身着のままで避難していました。

 ピンクや赤、黄色といった鮮やかな民族衣装が山の斜面に咲く花のように見えましたが、それとは対照的に彼らの顔はまったく表情がなかった。

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