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【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(3)西郷と勝 裏切りに見えた「誠」

 「きょうもし開城・引き渡しを発令するとわが君は主戦派によって拉致され、われわれは真っ先に命を奪われるだろう。命を惜しむわけではないが、それでは徳川家による300年の平和の功績も無となり、天に対して申し訳なく、朝廷に対しては大罪となる。ここはしばし『江戸鎮撫』といったあいまいな表現にとどめていただきたい。その後、(開城・兵器引き渡しについては)いかようにもしてゆくから」

 整理しておきたい。

 全面戦争を回避するための第一の条件は、当時すでに江戸城を出て上野・寛永寺に謹慎し、恭順姿勢を示していた徳川慶喜の助命である。これを拒否されれば勝自身が先頭を切って銃を取り、江戸城下に火を放たざるをえなくなるのだが、山岡鉄舟の下交渉と勝自身による本交渉によってクリアできる道筋は立った。

 だからといってひと安心できるような情勢ではない。江戸には恭順に不満な旧幕臣や佐幕派の諸藩の兵も多く、彼らと新政府軍が小競り合いでも始めようものなら全面戦争に発展する可能性が多分にあった。

 それを未然に回避するには徳川宗家が所持する膨大な量の兵器や新政府軍を圧倒する力がある軍艦の取り扱いが鍵を握ることになる。この問題については新政府軍側が「すべての引き渡し」を求めているのに対し、旧幕府側は「当座は現状維持、徳川家に対する最終処分が決まった段階で減封相応分を返還する」として鋭く対立していた。

 もちろんこのことは「旧幕府代表」の勝が西郷に渡した回答書に盛り込まれている。ところが、前述の渡辺の証言によると驚くべきことに、勝は兵器・軍艦の引き渡しについての旧幕府側の主張を骨抜きすることを独断で請け負っているのだ。

 渡辺の記憶違いや作話の可能性もある。しかし、次回以降に述べる理由によって、勝・西郷会談から30年後の証言とはいえ、その信憑(しんぴょう)性はかなり高いのである。旧幕府側にすれば、この勝の言動は「裏切り」に近い越権行為である。だからこそ彼は日記で沈黙したのだろう。

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