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【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(3)西郷と勝 裏切りに見えた「誠」

7日にオープンした東京都大田区立勝海舟記念館。「江戸無血開城」のコーナーには、初公開の勝あて大久保一翁書状(左下)が展示されている(関厚夫撮影)
7日にオープンした東京都大田区立勝海舟記念館。「江戸無血開城」のコーナーには、初公開の勝あて大久保一翁書状(左下)が展示されている(関厚夫撮影)
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 勝は口上をそう切り上げた、と「慶応四戊辰(ぼしん)日記」で述べている。要請しているのはまず慶喜、そして徳川宗家に対する寛典である。これに対する西郷の答えが「自分だけでは決められないため、駿府(静岡市)に控える東征大総督の有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王に相談申し上げる」という、翌日に控えた江戸城総攻撃の延期(結果的に中止)宣言だった。

 「おかしい」と感じる方も多かろう。勝は、山岡鉄舟を通じて西郷が伝えてきた開戦回避のための7条件に対する旧幕府側の回答書を携えていた。にもかかわらず、日記ではその最大の争点に関する協議にまったくふれられていないのだ。この「勝の沈黙」に関して興味深い証言がある。

勝、虚々実々

 西郷「まずは徳川慶喜についてはわが命令にすべて服すという恭順の実を示していただきたい。それがかなえばどこで恭順しようともかまいませぬ。ところで江戸城は近々に受け取ることができましょうか」

 勝「すぐお渡し申し上げよう」

 西郷「兵器弾薬の引き渡しについてはいかが」

 勝「それもお渡しする」

 西郷「軍艦は?」

 勝「そこが問題。陸軍ならば拙者の力でどうにかして穏当に引き渡せるだろうが、軍艦となると思うままにはゆかない。榎本武揚(海軍の実権を握る旧幕府海軍副総裁)たちが即座に官軍に刃向かうわけではないが、軍艦すべての引き渡しは請け合いかね申す」

 14日の勝・西郷会談に同席することになった新政府軍幹部の渡辺清(大村藩士。維新後は福岡県令や福島県知事を歴任)が、明治31(1898)年に語った「概略」である(『史談会速記録 第68集「江城攻撃中止始末」』)。また改めて江戸城開城と兵器・兵隊の「是非急」な引き渡しを求める西郷に対して勝は「それはしばらく待ってもらいたい」と制し、以下のように述べたという。

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