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【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(1)西郷と勝 悪魔の決意

 この回想記では後日談として、このとき用意した放火用の資材をこっそり品川の海に捨てたところ、新政府軍から不審に思われたこと、房総半島に小舟を集めておき、焦土作戦が始まったときには避難民を救出するため江戸に向けて出動するよう手配していたが徒労に終わったこと-などが明かされている。

 さらに見逃せない記述がある。新政府軍による「3道から一斉に攻め上り、退路を絶つために後方に火を放つ」という戦術については少なくとも西郷との会談が行われた3月13・14日の両日よりも「後にひそかに聞」き、「寡兵が大敵に勝つことができる、もっとも恐るべき策」として驚愕した様子がつづられているのだ。

 「ちょっと待ってくれ」である。

 西郷との会談以前から「ひそかに」この策を知っていた、とする「日記」の記述と明らかに食い違う。つまり、同じ内容のこと(新政府軍の江戸攻撃策)について「日記」では西郷との会談以前に知っており、それがゆえに思案を巡らせているにもかかわらず、同時期に書き残していたはずの「メモ」には、知ったのは会談後のことであり、それを聞いて驚いた、と記しているのだ。一体どちらが正しいのか。

 その全集がゆうに20巻を超すほどの筆まめでありながら勝は「文字が大嫌いだ」(『氷川清話』)という。こうした「勝の矛盾」は彼が残した日記・回想録・口述類においては時日・場所の混同や不正確さ、記述・証言内容の「ゆれ」となって現れ、研究者や歴史愛好家を悩ませ続けている。

 その典型例が江戸開城のさいの勝と最後の将軍・徳川慶喜とのエピソードなのだが、それについてはこの連載の後半に改めて紹介したい。

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