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【聞きたい。】人、才能を愛した生涯 村岡恵理さん 『ラストダンスは私に 岩谷時子物語』

村岡恵理さん(酒巻俊介撮影)
村岡恵理さん(酒巻俊介撮影)
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 岩谷(いわたに)時子をご存じだろうか。昭和の大スター、越路吹雪のマネジャーを無償で務めながら、作詞家として活躍。「愛の讃歌(さんか)」「恋のバカンス」「君といつまでも」など数々のヒット曲の訳詞や作詞を手がけた。

 岩谷を知る人は、誰もがその人柄をまるで聖女のようだったと話す。ただ、昭和の時代に女性が独身を貫いて働き続けたこと、女性作詞家のはしりとして道を切り開いたこと-その中にさまざまな苦労や葛藤があったことは想像に難くない。

 「今でいうハラスメントや誤解は数え切れないほどあったと思います。苦悩を人に見せない方でしたが、穏やかな笑顔の奥にあるものを描きたいと思いました」

 岩谷は大正5年生まれ。神戸女学院大学卒業後、4年ほど職に就かず、宝塚歌劇団の機関誌に小説や詩を投稿し続けた。それが機となり同出版部に入社する。

 「宝塚の影響はとても大きかった。美しい音楽や色彩、光…たくさん引き出しを蓄えられたことが、後の作詞に生きていきます」

 越路は8歳年下で、同歌劇団の生徒の時に出会う。破天荒な越路と岩谷は対照的な性格だったが、幾多の困難を経て生涯強い絆で結ばれた。なぜマネジャーを無償で務めるなど、普通では考えられないレベルで友を支え続けたのか。

 「ろくでなしと思っても舞台を観(み)たら全て赦(ゆる)せてしまう-そんな唯一無二の才能を越路さんに見いだしていたんだと思います」

 越路は昭和55年、56歳で死去。岩谷はその後も詞を創り続け、平成25年に97歳でこの世を去った。

 偶然にも岩谷と、村岡さんの祖母である翻訳家、村岡花子の共通点も多い。

 「実は命日も一緒。でも、一番の共通点は、人や才能を愛した人生だったということでしょうね」

 愛することは豊かなこと。情熱を持って友や才能に尽くし、それを糧に生きる人生を教示した人だった。(光文社・2200円+税)

 加藤聖子

【プロフィル】村岡恵理

 むらおか・えり 昭和42年、東京都生まれ。成城大学卒。「赤毛のアン」などの翻訳で知られる祖母・村岡花子の著作物や資料などを研究。著作に「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」(新潮文庫)など。

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