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【書評】『「戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校』

■戦争の非情さえぐり出す

 第二次大戦の帰趨(きすう)がほぼ決まった1944年11月、「北のパリ」と謳(うた)われたポーランドの首都ワルシャワは死臭のただよう瓦礫(がれき)の山と化していた。

 廃虚(はいきょ)の中で残飯をあさっていたユダヤ人が、ドイツ国防軍将校に見つかる。自分はピアニストだと言うと、将校は隣室のピアノを弾くことを命ずる。何年かぶりのショパンの夜想曲第20番。その日から、将校は極秘に食料を差し入れる。ドイツ軍撤退日、食べ物などを持ち込んだ将校に、ピアニストは自分の名をシュピルマンと告げるが、将校は名を明かさず外套を手渡して、その場から立ち去る。

 2002年公開のロマン・ポランスキー監督の名画「戦場のピアニスト」のクライマックスである。映画の底本はシュピルマンの『ある都市の死』(1946年)だったが、ポーランド社会主義政府の検閲で、人道主義的なドイツ人将校など存在するはずがないと、オーストリア軍人に差し替えられた。さらに政治的理由から同書はまもなく発禁処分に。

 このドイツ国防軍将校はヴィルム・ホーゼンフェルト大尉。本書によると、第2次大戦勃発時、4人の子持ちの44歳の教師だった。それまでの彼は、33年の突撃隊入隊、35年のナチス党入党など熱烈なヒトラー信奉者だった。だが、ワルシャワでドイツ軍の絶滅戦争の真実を目の当たりにしてナチスと決別、迫害されたユダヤ人らの「駆け込み先」となる。発覚すれば即刻銃殺刑をも覚悟し、結局60人余りを救った。

 不運にも彼はワルシャワから撤退中に赤軍の捕虜となり、以降、各地の捕虜収容所に拘置される。49年、スターリンは捕虜を「戦犯」として起訴し、懲役25年の判決を下した。軍服を着た博愛主義者も例外とされなかった。52年8月、心臓病のため獄死する。57歳だった。

 今年は第2次大戦勃発80年。今まで機会がなかったためか、ここにきて大戦に関する個人レベルの体験記、評伝が活況を呈している。先の戦争が持つ理不尽な非情さを冷徹にえぐり出し、読む者を捉えて離さないものもある。ホーゼンフェルトの日記、妻と子供たちへの手紙をもとに史実をたどった本書も、その一冊である。(ヘルマン・フィンケ著、高田ゆみ子訳/白水社・2800円+税)

評・川成洋(法政大学名誉教授)

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