PR

ライフ ライフ

【書評】『季語を知る』片山由美子著

■世界を認識する思想

 同じ短詩型でも俳句と短歌はこうも違うのか、と驚くことは多い。なかでも季語は俳句という文学世界の要である。季語のない短歌とは宇宙が違う。本書は、現代の季語のありかたについて一語一語議論してゆく一冊である。私のような門外漢や俳句初心者が読んでも面白く、季語とは何かという問いをあらためて受け取ることになる。

 「季語」や「季題」という言葉が使われるようになったのは明治末期だという。比較的新しく、「季語」は現在進行形で生成の途次にある。当然現代の新しい言葉や、生活の変化、気候変動などにも晒(さら)されつつ、今まさに議論の渦中にある。

 では、どんな言葉が季語となり、どんな言葉がならないのか。著者は「無理に作った言い換え季語は定着しない」、さらに「生活実感は、歳時記の季節に優先しない」とする。たとえ現代の生活が変化しようと、季語はそれとは独立した世界を形作るべきだとする。

 たとえば、今日なじみのある「道の駅」は季語になるのか? 著者は「言葉は生きているというのも一理あるが、それが詩語として高められるかどうかは別問題」とし、その可能性はない、とする。季語とはまず何より詩語であるべきだと語る。生活の変化に流されるのではなく、それとは独立した世界としてそびえるべき季語。これが著者の主張である。

 それは、近代俳句の大御所である山本健吉の「主観を強く打ち出したことが特徴」の季語観とも異なる。

 うすめても花の匂の葛湯かな 渡辺水巴

 山本健吉は、この「花の匂」を桜の花の匂いと読んだが、著者は葛の花の匂いだとする。葛は花も根も同じ匂いがするらしい。より厳格に季語の起源を訪ね、季語の世界に遵(したが)うべきだとするのである。

 季語とは、「季節の事物によって世界を認識するという、ひとつの思想である」とする著者は、変化の激しい現代に、季語という定点を設けようとする。それは、変化し拡散する日本語を積極的に取り入れようとする若手俳人の動きと対照的だ。そして、まさに季語を巡るこの両極の姿勢こそ、日本語の今を示している。(角川選書・1600円+税)

評・川野里子(歌人)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ