PR

ライフ ライフ

【本郷和人の日本史ナナメ読み】政治は軍事の「おまけ」?(上)譜代大名内で幕政担う「条件」

 かつて石川数正とともに徳川家康を支えた酒井忠次の家は、なぜかあまり厚遇されなかった。もしかしたら家康は忠次を嫌い、遠ざけていたのかもしれない。だから家康が亡くなると、すぐに忠次の子の家次(彼の生母は家康の叔母にあたるので、家康と家次は血を分けたいとこ)は10万石の大名に躍進するんじゃないか、という話を8月にしました。この家次の跡継ぎの忠勝は出羽の庄内に移り、江戸時代を通じて存続しました。本拠は鶴ケ岡城で、石高は13万8千石から幕末には17万石余りになっています。

 酒井家というと、徳川四天王にも数えられるこの忠次の一流の他に、大老や老中を輩出した家筋があります。忠次の方は左衛門尉(さえもんのじょう)家。姫路城の殿さま(15万石)として幕末を迎える後者は雅楽頭(うたのかみ)家。4代将軍家綱を支えた下馬将軍、酒井忠清の流れです。雅楽頭家の有力な分家には若狭の小浜藩11万石余りを領した酒井家があるのですが、この家の祖が大老・老中を務めた忠勝という人。つまり同じ時期に庄内と小浜に「酒井忠勝」がいたのですから、ややこしい。まあ仲間内では諱(いみな)は意識されず、「これは宮内大輔どの(庄内の忠勝)」「おやおや讃岐どの(讃岐守。小浜の忠勝)」なんて言ってたでしょうから、同姓同名でも問題はなかったのかな。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ