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三島由紀夫没後50年に向け脚光 山梨・山中湖の文学館

三島由紀夫文学館にある、三島邸にあったものをイメージしたアポロ像。なぜか三島が切ったのと同じ腹と介錯を受けた首にひびが入ってきたという=山梨県山中湖村平野(渡辺浩撮影)
三島由紀夫文学館にある、三島邸にあったものをイメージしたアポロ像。なぜか三島が切ったのと同じ腹と介錯を受けた首にひびが入ってきたという=山梨県山中湖村平野(渡辺浩撮影)
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 〈山中湖の満目(まんもく)の春のうちをすぎる帰路の行程は佳(よ)かった。私はこれほどに春を綿密に味わったことはなかった。別荘地はまだ悉(ことごと)く戸を閉ざし、山桜は満開、こぶしの花は青空にぎっしりと咲き、湖畔の野は若草と菜種の黄に溢(あふ)れていた〉

 作家の三島由紀夫(1925~70年)はサンデー毎日の昭和42年6月11日号で、陸上自衛隊富士学校(静岡県小山町)での体験入隊からの帰り道をそう描写した。

 山梨県山中湖村が山中湖南岸に平成11年7月に開館させた三島由紀夫文学館が20周年を迎えた。現在、館の歩みを紹介する特集展が開かれている。

 三島の初版本全てをはじめ、直筆原稿、書簡、絵画、写真など膨大な資料を所蔵。最後の長編小説「豊饒(ほうじょう)の海」の第3巻「暁の寺」の創作・取材ノートも展示され、そこには三島がスケッチした山中湖一帯の地図が描かれている。

 作品に山中湖は登場するが、三島との特別な縁はない。なぜ山中湖なのか-。三島の遺族は公共機関での作品や資料の保管、利用を希望したが、三島が自衛隊の決起を呼びかけて割腹自決したという事情から尻込みする機関が多く、山中湖村だけが手を挙げたという。

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