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【話の肖像画】マンガ家・永井豪(73)(4)激務のアシスタント時代

 レストランでのアルバイトをやめて、アシスタントになりました。給料は減りましたが、マンガの勉強をできることが楽しかった。ただ、忙しかったですね。石森先生は多くの連載を抱えているから、原稿ができるのはいつも締め切りギリギリになる。8畳ほどの部屋にいる先生と4人のアシスタントを、多いときで13人の編集者が囲んでいた。締め切り間際の殺気が刺さってくるようでした。

 先生は手が速いから、ポンポンと畳の上に原稿を投げ出す。それをアシスタントが拾って、背景などを描いていくんです。編集者は一刻も早く、自分のところの原稿を持ち帰りたいから、ヨソの連載原稿を取ると、「それはウチのじゃない」とでもいうようににらまれる。もう針のむしろ状態ですよ。編集者はふだんでも4、5人が待ち構えていて、午前中から食事も取らず、日付が変わるくらいまで描いていましたね。月に1度休めればいいほうで、労働基準法なんて関係なしでした。

 アシスタントを始めて3カ月くらいのとき、私以外のアシスタント3人が反乱を起こしたんです。「こんなひどいところはない、やめる」と。私は待遇に不満はなく、「ここで勉強したい」と拒否して残りました。翌日、先生が来てまわりを見渡し、「他の連中はどうした」と聞くので、やめたことを伝えると、顔色一つ変えずに、「いらない机をかたづけろ」と指示されました。自分ひとりでも描けるという自信があったのでしょう。次のアシスタントが来るまで1カ月半くらい、向かい合って過ごしました。先生のもとには2年ほどいました。

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