PR

ライフ ライフ

【書評】『詩情のスケッチ 批評の即興』新保祐司著

■勁さと繊細さ同居した筆

 たとえば、水彩の絵の具でさらりと引いた線のような文章、と言ったらよいだろうか。あるいは、淡い陽光の下で、静かにスケッチを楽しんだ日の思い出。新保祐司氏の新著には、勁(つよ)さと繊細さが二つながら同居し、緊張感をはらんだ自由な筆が冴(さ)えている。

 勁さとは、新保氏の批評を貫く一筋の骨である。

 氏は恐らく人生の若き日に決定的な崩壊の体験をしている。世界を色づける「ものさし」、判断の基準を奪われ、逡巡(しゅんじゅん)する相対化の極北に苦悶(くもん)したことがある。そして、「そこから」徹底的に世界を構築せねばならなかった。それは本居宣長が『古事記』を発見したのと同じ態度であり、カザルスがバッハの無名の曲を再発見することで自己を確立したのと同じである。

 新保氏の場合、その努力は主に、読書によって行われた。あるいは、決定的な古典との邂逅(かいこう)によって辛くも、自己を保った。それはキルケゴールであり、波多野精一であり、平知盛の最後の言葉「見(みる)べき程の事は見つ、今は自害せん」であった。そして何より、内村鑑三の言葉があった。結果、人間は「使徒」として生きざるを得ないこと、つまり宿命を自覚し、「垂直」からの声を聴くことが、すなわち生きることなのだ、と深く悟るのである。

 勁さと同時に、本書には繊細さにも満ちている。コンスタブルの風景画から国木田独歩へ思いは自由に飛翔(ひしょう)する。中世の古都に長期滞在したときの思い出を描き、大雪の日に訪れた寒村を歩みながら、漱石の『文学論』を振り返る。漱石の愛したラファエル前派の画家、とりわけバーン=ジョーンズの作品に出合ったときの衝撃に筆は進む。

 以上のように、本書は絵画と音楽、文学を縦横無尽に語った作品である。決して安易な自然賛歌や感傷に陥らない。何よりの証拠は、キルケゴールに対する新保氏の共感にあるだろう。キルケゴールは、現代を「水平化の時代」と呼び、私たちの心が衰弱し、感動が陳腐で微温化していると指摘した。凡庸な大衆が群れ集う現代社会で、垂直の啓示を感じ、勁く生きることの困難。今、本書のような作品を書くこと自体が奇跡であり、至難なのである。(藤原書店・2500円+税)

 評・先崎彰容(日本大学教授)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ