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【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(58)わが友ムッソリーニ 〝劇薬〟の誘惑を絶つべし

「帰ってきたムッソリーニ」の一場面
「帰ってきたムッソリーニ」の一場面

ファシストが国民的人気者に

 2017年4月28日。ローマの公園に空から何かが落ちてくる。隕石(いんせき)? 否、軍服を身にまとったスキンヘッドの精悍(せいかん)な男だ。両足は縄で縛られている。ムッソリーニが復活したのだ。

 たまたま公園でドキュメンタリー作品を撮っていた売れない映像作家のカナレッティが、撮影した映像を自宅で確認していると、背景にムッソリーニそっくりの男が映っている。カナレッティはひらめく。このそっくりさんを使ったら面白いドキュメンタリーが撮れる!。かくしてカナレッティとムッソリーニは車に同乗し、イタリア全土をめぐる撮影旅行に出立する。

 街頭で市民に「不満はないか」とムッソリーニが声をかける。すると移民問題や税金問題、政治家の腐敗など、不満が次々に噴出する。スマートフォンを手にした若者たちは、彼を撮影するだけでなく、ツーショットの自撮りにいそしむ。

 各地で起こる様子をカナレッティが動画サイトに投稿すると再生回数はうなぎ上り。この人気に目をつけたテレビ局は彼を主役にすえた「ムッソリーニ・ショー」という番組を始める。歯切れの良いカリスマ的な弁舌は視聴者の心をつかみ、彼は国民的な人気者になってゆく…。

 9月20日に公開されるイタリア映画「帰ってきたムッソリーニ」(ルカ・ミニエーロ監督)の大筋だ。すでにお気付きの方も多いだろう。ドイツのジャーナリスト、ティムール・ベルメシュが2012年に発表した風刺小説『帰ってきたヒトラー』の舞台をドイツからイタリアに置き換えたものだ。その映画版「帰ってきたヒトラー」(ダービト・ブネント監督)と同様に、街頭シーンに登場する市民の大半は、エキストラではなく一般の人々。ムッソリーニ役の俳優(マッシモ・ポポリツィオ)をいきなり人々の集う場所に投げ込み、その生の反応を撮ったという。

階級闘争より国家間の闘争

 ムッソリーニは1883年、フィレンツェの北東80キロほどにあるプレダッピオに生まれた。1919年に「戦闘者ファッショ」(後の国民ファシスト党)を創設、21年の総選挙で国会議員となり、22年に「ローマ進軍」という無血クーデターをへて国王から組閣を命じられる。その後、あらゆる政党を解体して一党独裁体制を樹立。35年にエチオピア侵略を始め、国際世論に対抗するためドイツに接近。スペイン内戦介入、国際連盟脱退、反ユダヤ主義導入をへて、39年にドイツと同盟を結び、40年に第二次世界大戦に参戦。各地で敗北を喫し、43年に起こった軍部クーデターで失脚・幽閉。ドイツ軍に救出され、北イタリアにドイツの傀儡(かいらい)国家イタリア社会共和国を樹立するものの、45年4月28日、28歳下の愛人クララ・ペタッチとともに共産党のパルチザンに捕らえられ銃殺される。遺体はミラノのロレート広場に運ばれて市民に辱められたのち、ガソリンスタンドの軒に逆さ吊りにされた。

 父の影響を受けて社会主義者として出発した彼は、議会制民主主義の機能不全、労使対立の不毛といった、大衆社会の台頭がもたらす諸問題を目の当たりにし、資本主義と社会主義を超越する「第三の道」を模索。第一次世界大戦が勃発し、敗戦国となれば階級にかかわりなく国民全員が悲劇に見舞われるという自覚を強め、階級闘争よりも国家同士の闘争を重視するようになったといわれる。

 ミニエーロ監督は、こうした史実を物語のスパイスとして巧みに利用する。たとえば、彼が復活するのは命日の4月28日であり、そのとき彼の両足は縄で縛られている。よみがえった彼が悲しそうにつぶやく「クラレッタは」とは、もちろん愛人クララ・ペタッチのことだ。撮影旅行ではこんなことも。ミラノのにぎやかな広場を通過するさい、急に彼の気分は悪くなる。ロレート広場である。

確信に満ちた言葉の強い磁力

 作品はコメディータッチであり、腹を抱えて笑う場面も多い。だが、笑いながら彼の確信に満ちた言葉にぐいぐい引き込まれてゆく自分がいた。《私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである》と結ばれる三島由紀夫が自死の年に書いたエッセー「果たし得ていない約束」と彼の言葉が響き合うのだ。

 いまこの世界を生きている人間に決定的に欠けている「何か」が彼の存在と言葉にはあった。「何か」とは、ざっくりと言うなら、天命の自覚とそれによって生ずる非合理な情熱であろう。救国という天命を自覚した彼は、小さなころから親しんできたフィレンツェの政治家・思想家マキャベリ(1469~1527年)を師として権力闘争を勝ち抜き、ついには絶対的な権力を手中に収める。国民が自由に飽き、バラバラになっているのを目の当たりにした彼は、「正義=救国」の実現のために国民を束ねようとする。すなわちファシズムである。彼はこう語っている。

 《私はファシズムを創造したのではなく、イタリア人の奥底から引き出しただけである》

 ムッソリーニは、私の奥底に潜む「ある傾向」までも引き出してしまったようだ。慌てて自問する。「お前は束ねられることが何よりも嫌いではなかったか」と。詩人、新川和江さんの代表作「わたしを束ねないで」の一節が浮かぶ。

 《わたしを束ねないで/あらせいとうの花のように/白い葱(ねぎ)のように/束ねないでください わたしは稲穂/秋 大地が胸を焦がす/見渡すかぎりの金色の稲穂》

 最後にモンテーニュの言葉をかみしめておこう。

 《およそ革新くらい国家を苦しめるものはない。変更だけでも不正と圧制とを産み出すに十分なのである。どこかの一部がはずれたら、つっかえ棒をかうがよろしい》(第3巻第9章「すべて空なること」)

 国の現状にどれほど不満があろうと、劇薬は決して使ってはならない。 

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。  (文化部 桑原聡)=隔週掲載

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