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難民体験の描写は「私の宿命」 ノーベル賞候補 ベトナム系カナダ人作家の覚悟

放浪、という言葉を好む。「書くことも、毎回新しい冒険です」と話すキム・チュイさん
放浪、という言葉を好む。「書くことも、毎回新しい冒険です」と話すキム・チュイさん

 関係者のセクハラ疑惑で発表を見送ったノーベル文学賞の代替として、スウェーデンの文化人らが昨年限定で設けたニュー・アカデミー文学賞。ベトナム系カナダ人のキム・チュイさん(50)は受賞こそ逃したものの最終候補の1人に名を連ねて注目された。来日した作家に、自らの難民体験を基にしたデビュー作『小川』(山出裕子訳、彩流社)を糸口に、創作の源泉を聞いた。(文化部 海老沢類)

 「驚きましたね」。ニュー・アカデミー文学賞の最終候補入りについて聞くと、チュイさんは笑顔で言葉を継いだ。「ベトナム出身で今はカナダに暮らしフランス語で書く。いろんな顔を持つマイノリティー(少数派)であることも候補に選ばれた理由かもしれない」

 カナダ総督文学賞などを受けた『小川』(2009年)はベトナム戦争を背景にした自伝的小説だ。ロケット弾が頭上を飛び交う戦時下のベトナム・サイゴンに生まれた少女「私」。戦後、急速に共産主義体制に移行した祖国での迫害から逃れるため、「私」と家族は小舟に乗り込んで国を脱出。隣国マレーシアの難民キャンプを経てカナダのケベック州にたどり着く。足がもつれてボートから海に落ちた女の子、空の色のグラデーションを数え続ける男性、楽園のような亡命先での歓待…。記憶の断片を短く連ねて、祖国や言葉も失った末に新しい人生を踏み出す少女と家族を描く。

船倉で4日間

 「最初はね、運転中に眠気と闘うために赤信号で待つ間、ノートに少しずつ書き始めたんです。最も知っている体験を、言葉遊びをするようにして」。恐怖の限界を超えて身体感覚がまひしていく過酷な「ボートピープル」体験の描写は簡潔だけれど、強い印象を残す。当時チュイさんは10歳だった。「218人もの避難民が乗ったボートの狭い船倉で4日間、ほとんど動けず、空も見えなかった。人間が負けるしかない自然の強さと美しさも知った。それから何十年も、無意識のうちに小さな船には乗らなかったのです」

 原題の「Ru(ル)」にはベトナム語で子守歌やゆりかごという意味がある。作中で描かれる自然の力、そして多文化主義を掲げ、他民族に寛容な亡命先での記憶とも重なって読める言葉だ。

 「難民体験という状況自体は醜く、悲しい。でもその中で以前の自分にはなかった強さが出てきたり、人に優しくなれて助け合えたりもする。そもそも難民の苦労がなければカナダの人々の寛容さも分からなかった。普通はなさそうなところに『美しさ』を探し、文章で再現する。それが私の作家としての目標であり宿命でもある」

 祖国とカナダ。その間で帰属意識が揺らぎかねない移民という境遇も肯定的に受け止める。「私のアイデンティティーは(キューバ発祥のカクテル)モヒートのようなもの。ラム酒やミントといった材料を別々ではなく、一緒に飲む方が新しい味が出ておいしいでしょ? すべてのアイデンティティーを忘れず、薄めず、共存させるのです」

記憶を運ぶ

 講演などで海外に足を運ぶ機会も多く、日本にも何度か訪れている。旅の“友”はスーツケース一つ。余分な物は持たない主義だ。

 「物に囲まれた生活をしていた幼い頃、私はその全部を失い、何もない人になった。物はいつ失ってしまうか誰にも分からない」と話す。「けれど記憶は死ぬまで自分のもの。それにどこへでも運ぶことができる。大切なのは物ではなく記憶なのです」

 難民とその受け入れをめぐる問題は20世紀にとどまらず今も世界各地で顕在化している。祖国を追われた人間の傷と希望を描く物語の重みはむしろ増しているのかもしれない。

 キム・チュイ 1968年、ベトナムのサイゴン(現ホーチミン市)生まれ。10歳でカナダに移民として渡る。モントリオール大で学んだ後、通訳や弁護士、レストラン経営者などを経て、2009年にデビュー作『小川』を発表。同作でカナダ総督文学賞などを受賞。昨年、発表を見送ったノーベル文学賞の代替として設立された市民文学賞、ニュー・アカデミー文学賞の最終候補4人の1人に選出された。同賞を受賞したのはカリブ海のフランス海外県グアドループ出身の黒人女性作家、マリーズ・コンデさん。最終候補の1人に残っていた村上春樹さんは「執筆に専念したい」としてノミネートを辞退した。

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