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文化人・原三溪の全貌

国宝「寝覚物語絵巻」(部分)平安時代後期(12世紀)、絹本着色・一巻、大和文華館蔵
国宝「寝覚物語絵巻」(部分)平安時代後期(12世紀)、絹本着色・一巻、大和文華館蔵

 横浜・本牧の名園、三溪園(さんけいえん)。約17.5ヘクタールの広大な庭には、三重塔や合掌造りの家など各地から移築した古建築が配され、池に広がるハスの花が目を楽しませてくれる。

 この見事な回遊式日本庭園を造ったのは生糸貿易で財を成した原三溪(本名・富太郎、1868~1939年)。希代の実業家であると同時に茶人、古美術収集家、芸術家のパトロンであり、自らも書画を能(よ)くした。横浜美術館(西区)で開催中の「原三溪の美術 伝説の大コレクション」展は、文化人・三溪の全貌を描き出す試み。何より、国宝・重要文化財を含む三溪旧蔵の美術品約150点が、各地の収蔵先から再集結する貴重な機会となっている。

 奈良の大和文華館(やまとぶんかかん)が所蔵する国宝「寝覚物語(ねざめものがたり)絵巻」、京都・細見美術館の「愛染明王像」(重要文化財)、雪舟作と伝わる「四季山水図巻」(重文、京都国立博物館蔵)…。岐阜の豪農の家に生まれ、幼少期から南画家の伯父らに絵画や詩文を学んだ三溪らしく、収集は文人画に始まり仏教美術や茶道具へと広がった。また大和絵から琳派(りんぱ)へと通じる風雅な装飾性にいち早く注目したコレクションも、目利きの鋭さを物語る。

 生前親交のあった美術史家の矢代幸雄は著書『藝術(げいじゅつ)のパトロン』(中公文庫、昭和33年初版)の中で、三溪の収集意図を、自ら味わうだけでなく〈将来有望と信ずる人々にも見せて、(中略)生きた芸術家を養成するための貴重なる教育材料と考えられた〉と説明している。実際、横山大観に下村観山、安田靫彦(ゆきひこ)、前田青邨(せいそん)ら日本美術院の名だたる作家が、古美術の実見だけでなく、三溪からさまざまな支援を受けた。そして、三渓が彼らに注文し購入した近代日本画の一大コレクションは戦後、ほぼ一括して東京国立博物館の所蔵となった。

 三溪は美術館も構想していたとされるが、関東大震災(大正12年)を境に美術収集とパトロンとしての活動は縮小し、横浜の復興に傾注したという。そのコレクションは後年、国内の美術館や個人に分蔵されて今に至るものの、彼の最大の作品である三溪園は、既に明治39年から「遊覧御随意」と掲げて市民に公開されていたそうだ。ハマの生糸王は、美を民衆と分かち合い、文化の継承に心を砕いた傑物だった。同展は9月1日まで、木曜休。(黒沢綾子)

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