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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第3章 維新回天の原動力(5)火薬庫・長州まとめた「湊川の覚悟」

木戸孝允(国立国会図書館「近代日本人の肖像」から)。木戸もまた、正成の影響を受けていた
木戸孝允(国立国会図書館「近代日本人の肖像」から)。木戸もまた、正成の影響を受けていた
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 長州の木戸孝允(たかよし)は西郷隆盛、大久保利通(としみち)という薩摩の2人と並んで「明治維新の三傑」とされる。非業の最期を遂げた西郷、大久保とともに明治維新につながる薩長同盟の立役者であり、さらに新政府でも「五箇条の御誓文(ごせいもん)」の制定や廃藩置県などの新政策で大きな功績を残した。

 吉田松陰や高杉晋作、久坂玄瑞(くさか・げんずい)ら他の長州藩士と同様、木戸もまた、楠木正成(くすのきまさしげ)の影響を受けた維新の志士である。江戸で剣術修行中だった20代のとき、木戸が長州藩士に宛てた手紙にはこう記されている。

 〈治国固(もと)より忠孝仁義を第一と致(いたし)候は必然の理にて、士民頭に忠孝を戴き、腹仁義を養い候得は、宇宙怖るる処なく…(中略)…楠公(なんこう)孔明(こうめい)の輩を始(はじめ)、無間断(かんだんなく)御探索有之度(これありたく)〉

 当時は黒船来航後で、江戸幕府は米国の圧力に屈して開港し、さらに不利な通商条約の締結を迫られていた。木戸は、この国難に「武士も民も忠孝を第一とし、仁義を尽くせば怖いものはない」とした上で、「正成や諸葛(しょかつ)孔明のような有能な人材を登用すべきだ」としたためたのだ。

 明治大の落合弘樹教授は、「当時の武士は漢学の影響から手紙には屈原(くつげん)や顔真卿(がんしんけい)ら中国の偉人を多く引用するのですが、木戸は日本の置かれた情勢から尊王の見本として正成を登場させたと思います」と話す。

 幕末の長州藩で文久2(1862)年、重要な決定があった。後世、「君臣湊川(みなとがわ)の覚悟」と称される藩論の大団結である。

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