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負傷兵看護、空襲、原爆…死線くぐった96歳女性

 しかし本土にも戦火が迫る。空襲で焼け出され、母が疎開していた熊本県八代市(やつしろし)に移った8月9日、敵機を確認しに上った火の見やぐらで、内臓が吹き飛んだかと思うほどの強い爆風を受けた。海を隔てて見通せるはずの長崎方面が、厚い雲に覆われていた。

 迎えた終戦。故郷の沖縄は戦禍で荒れ果て、父はパラオに残ったままだった。「この先、生きられるのか」と何度も不安がよぎるなか、激動の戦後を必死で生きた。闇市で米を売り、菓子の仲卸しを軌道に乗せたが、水俣病にかかった。右手は今も不自由だ。関西に移り、2人の子を育てたが、戦争の記憶は一度も口にしなかった。「思い出すことへの恐怖心と、話してはいけないことだとも思っていた」

 約20年前、被爆地・広島で、語り部の話を聴いたことが転機となった。あの戦争で多くの人が命を落としたなか、自分はまだ生きている。「話さなければ…」。知人にも背中を押され、初めて口を開いた。

 90歳を超え、体力の衰えも感じるが、「誰かが話さないと、戦争がどういうものかわからなくなる」と、各地で講演を続ける。「機会をもらえるなら、寝たきりになっても話したい」。あの大戦を、命ある限り、語り続ける。覚悟を胸に、74回目の終戦の日を迎えた。(鈴木俊輔)

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