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波瀾の人生で学んだ「幸せな婚活術」 デヴィ夫人が新刊で伝授

「スカルノ夫人として、普通の日本人には想像もできないいろいろな経験をしてきました。余生はタレントとして楽しみながら生きようと思っているの」と話すデヴィ夫人(飯田英男撮影)
「スカルノ夫人として、普通の日本人には想像もできないいろいろな経験をしてきました。余生はタレントとして楽しみながら生きようと思っているの」と話すデヴィ夫人(飯田英男撮影)

 海外の国家元首の妻となった唯一の日本人にして、歯にきぬ着せぬ物言いで今やテレビのバラエティー番組に欠かせない存在であるデヴィ夫人。その波乱に満ちた半生と、女性誌のサイトで好評を得た婚活アドバイスをまとめた人生論&婚活論だ。2月の出版から半年で6刷10万部のベストセラーとなり、自身は「本にするようなお話じゃないと思っておりましたのに…」と驚いている。

 「この本は、わたくし自身の経験もありますが、これまでにお会いしたいろいろな方の人生を見て、わたくしなりに感じたことを書きました。売れているのは、結婚を望んでいるのに、結婚できない女性がいかに多いかということですよね。だれにも話せずに一人で悩んでいる方が、想像以上に多かったのだと思います」

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 貧しかった子供時代。中学でトップクラスの成績ながらも、高校へ進学せず、家計を助けようと就職。難関を突破して生命保険会社のOLとなった後も、お金をためるためにランチタイムや土日は喫茶店でアルバイトし、夜は定時制の都立高校に通う…。こうした境遇を「お気の毒に」と思った人もいたようだが、デヴィ夫人は「自分の人生を生きられる」喜びで希望に満ちあふれていたという。

 当時を振り返り、こうつづる。「貧しい境遇に生まれて苦労したことはラッキーだと思っています。貧しさは神から与えられたギフトであり、イデオロギーであり、パワーの源なのです」

 19歳でインドネシアの初代大統領であるスカルノ氏と運命の出会いをし、結婚というチャンスをつかんだのも、持ち前の美貌だけではなく、努力して身に付けた教養ゆえのことだ。

 「わたくしが大統領に選ばれたことを『美人だからでしょ』と思う方がいらっしゃいますが、理由はそれだけではありません。当時のわたくしは、日本女性には珍しく語学に秀で、社交性に富んでおりました。これは、人並み外れた上昇志向を持って、人の3倍勉強し、人の3倍働き、人の3倍努力して、人の3分の1の睡眠によってできた賜(たまもの)なのです」

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 大統領亡き後に移住したフランス・パリの社交界では「東洋の真珠」とうたわれ、アメリカの大富豪や名優アラン・ドロン、フランスの伯爵や公爵とも浮名を流した。

 「男は弱ったときが狙い目」「男をおだてて王様の気分にさせる」「美貌より大切なのは“女性らしさ”」「男は浮気をする生き物」…。自身の恋愛経験と、周囲の一流と呼ばれる人たちの結婚生活を垣間見て得た男性を見る目は鋭く的を射ている。女性のために幸せな結婚のためのノウハウを伝授するのは、日本の人口減少が待ったなしという状況に歯止めを掛けたい思いからだ。

 「日本の人口は今、1億2000万人ですが、このままいけば30年後には9500万人と1億人を切るそうです。わたくしが日本の女性に結婚を勧めるのは、結婚したい、子供を産みたいと望んでいる女性に幸せになってほしいのはもちろん、日本という国家を守るためでもあるのです」

 79歳の今も「タレント」と呼ばれることを楽しみ、新たなチャレンジを続けている。常に前向きな姿勢でいられる理由を問うと、「わたくしはファイターなんですよ」とほほ笑んだ。「人生は戦場。わたくしは一戦士として、常に闘っているのです」

 人生の勝者となるために、これからも闘いは続きそうだ。(平沢裕子)

ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ 昭和15年、東京生まれ。旧姓は根本七保子(なおこ)。19歳でインドネシアに渡り、初代大統領のスカルノ氏と22歳で結婚、インドネシア国籍となる。スカルノ氏が亡くなった後、フランス・パリに拠点を移し、コンサルタントなどの仕事をする。現在はデヴィ夫人の愛称で親しまれ、タレントとしてテレビ番組などに多数出演。地球規模での慈善活動も行っている。

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