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戦後74年、国会議事堂の終戦直後と今

終戦後、米軍が撮影した国会議事堂周辺(右)。焼け野原となった一帯には現在、ビルが立ち並んでいる(左、松本健吾撮影)
終戦後、米軍が撮影した国会議事堂周辺(右)。焼け野原となった一帯には現在、ビルが立ち並んでいる(左、松本健吾撮影)
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 終戦直後、焼け野原となった東京の都心を、米軍が空から撮影していた。建物は崩れ落ち、かろうじて残った壁も真っ黒に焼け焦げている。

 推計10万人超が犠牲になった昭和20年3月10日の東京大空襲は未明の無差別爆撃だった上、大半が木造建築であった東京は焼夷(しょうい)弾により焼き尽くされた。

 その後も空襲は続き、都心も大きな被害を受けたが、御影石造りの国会議事堂は終戦後も焼け野原の中で、その威容を残していた。

 国会議事堂を中心に終戦時の写真と、現在の永田町周辺を撮影した航空写真をつなぎ合わせた。

終戦後、米軍が撮影した国会議事堂周辺(左)。焼け野原となった一帯には現在、ビルが立ち並んでいる(右、松本健吾撮影)
終戦後、米軍が撮影した国会議事堂周辺(左)。焼け野原となった一帯には現在、ビルが立ち並んでいる(右、松本健吾撮影)
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 現在の写真は回転翼のヘリコプターからの撮影で、空中で静止することができる。だが、終戦時に撮影で使われた米軍機は固定翼であったはずで、同じ高度、空域をヘリで飛行してみると、米軍がいかに低高度を高速で飛行して撮影していたかに驚かされる。

 終戦から74年がたつ。

 令和の時代を迎え、国会議事堂のある永田町の周辺には中央省庁を含め高層ビルが建ち並ぶ。政治の中枢である首相官邸で、議員が結婚を発表できる平和な時代である。焼け跡から立ち上がってきた先人の苦労に感謝し、終戦の日を迎えたい。(奈須稔)

終戦後、米軍が撮影した国会議事堂周辺(左)。焼け野原となった一帯には現在、ビルが立ち並んでいる(右、松本健吾撮影)
終戦後、米軍が撮影した国会議事堂周辺(左)。焼け野原となった一帯には現在、ビルが立ち並んでいる(右、松本健吾撮影)
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