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「日本に戻りたい」トラック諸島空襲の遺族、沈没船に残る父の思い代弁

 桑山さんの慰霊の旅は平成6年、25年、29年と計4回続き、25年には3年前に亡くなった母の遺骨の一部を愛国丸の沈没地点にまいた。ただ、国による戦没者遺骨の収集は6年の6柱を最後に行われていない。

 桑山さんの父が最期を迎えたとみられる愛国丸の機関室は出入り口のハッチが開かずに入れないと説明されており、「仕方がないと心の区切りをつけていた」(桑山さん)。だが最近、ダイバーが別ルートで機関室に達し、遺骨を見つけたとの情報が寄せられ、「父がまだいるのではないか」との思いに駆られた。

 遺骨収集事業を担う厚生労働省も同様の情報を把握しているが、潜水の技術面でギリギリの深さにあるとみられ、安全性など慎重な検討が必要だという。

 桑山さんはかつて参加した焼骨式で、遺骨から立ち上る煙が自然と日本の方角に流れていった情景が忘れられない。「遺骨収集が国の責務なら、せめて目に見える遺骨だけは持ち帰ることができるようにしてほしい」。桑山さんはこう強く願っている。(伊藤真呂武)

■トラック空襲 昭和19年2月17日から18日にかけ、旧日本海軍の連合艦隊停泊地だったトラック諸島に対する米機動部隊の集中攻撃。旧防衛庁編著の戦史叢書(そうしょ)によると、41隻の艦船が沈没し、このうち愛国丸を含む31隻が民間からの徴用船だった。愛国丸の犠牲者は400人以上とされる。戦艦「武蔵」など連合艦隊の主力部隊は空襲前に日本本土やパラオ・ペリリュー島に撤退していた。

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