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【忘れられた同胞・フィリピン残留2世(下)】“祖国”居場所なく「私たちは棄民」 国籍回復へ「政府の支援不可欠」

 生き残ったカルロスさんは妹らと山へ逃げ、雑草を食べて命をつないだ。45年8月の終戦を経て、翌年9月に米軍へ出頭。日本の戸籍に載っておらず、国籍がないことが分かり、衝撃を受けた。捕虜収容所で過ごした後、引き揚げ船に乗り、父の実家がある山口県に“帰郷”した。

 日本人学校にいたため日本語に不自由はなく、高校を卒業して就職もしたものの、日本国籍はないままだった。「この国に自分たちの居場所はない」と感じ、当時のフィリピンの成人年齢である21歳でフィリピン国籍を選択。妹を連れてバギオに戻った。

 その後、実業家として活躍。日本のバギオ名誉総領事やフィリピン日系人会連合会の会長を務め、日比の懸け橋になってきたが、今も“祖国”への複雑な感情は消えない。

 「自分が日本人だと疑ったこともなかった。私たちは棄民だ」。寂しそうにつぶやいた。

■手続き完了に50年

 フィリピン残留2世に似た境遇の存在として、戦前から戦中にかけて中国東北部(旧満州)に渡った中国残留孤児がいる。ただ、ほとんどが父親の戸籍に登録する「就籍」を終え、渡航費用や日本で暮らす際の生活支援などを国から受けた中国残留孤児に対し、フィリピン残留2世に対する公的支援は皆無だ。

 「中国は国策による移民で、フィリピンは自分の意思で行った移民という違いはあるが、戦争の犠牲者ということに違いはない」。中国残留孤児の就籍を手がけ、フィリピン残留2世の支援を続ける河合弘之弁護士はこう話す。

 フィリピン残留2世の平均年齢は80歳を超えるが、今も無国籍状態の1069人(今年3月時点)が就籍を待っている。当初は1~2年ほどかかった就籍の手続きは、今では最短1カ月でできるようになった。それでも、年間で行われるのは20件程度。すべてが完了するのは50年かかる計算になる。

 「生きているうちに希望をかなえてあげるためにも、政府の支援が不可欠だ」。河合弁護士は強調した。

=この連載は橋本昌宗が担当しました。

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