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戦後74年「日本の後を頼む」96歳元海軍中尉、特攻同期の思いを次世代へ

 瑞雲の用途はあくまで偵察機。米軍の艦上機と比べて戦闘面での見劣りは明らかで、敵部隊の追撃から逃れられないケースも。最終的に残ったのは数機にとどまった。

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 大戦末期の20年4月、鹿児島県の鹿屋海軍航空隊へ転属した。映画「永遠の0(ゼロ)」の舞台としても知られる特攻隊の出撃基地だ。決死の作戦に備えたが、飛び立つのはなぜか海軍飛行科予備学生の同期生(第13期)ばかり。

 「隣のベッドで出撃を控える同期が『故郷(ふるさと)』を口ずさんでいたのを覚えています。皆、一矢報いる気持ちでしたから、ふびんとは思いません。ただ、この年になって『故郷』を聞くと、同期を思い出し涙が止まらなくなります。恐怖をまぎらわせようと、酒をあおり大騒ぎする者もいました。でも、朝になるとしゃんとし『加藤、後を頼んだぞ』と言い残していく。何ともいえない気持ちになりました」

 戦況悪化に伴い立命館大を繰り上げ卒業していたが、戦地から帰還後は関西大でも学び、その後、京呉服関係の仕事を長く続けた。

 10年ほど前から講演会で体験談などを伝えるようになった。3月には大動脈瘤(りゅう)が破裂し、緊急入院。いったん退院したが、リハビリ途中で異変が見つかり再入院した。

 7月21日、大阪市北区の市中央公会堂で先の大戦を語り継ぐ催しが開かれ、病身をおして登壇。つえこそ欠かせないが、いすから立って満席の約1100人の聴衆に語りかけた。

 「戦後生まれの皆さんにお願いしたいのは先祖を大事にし、日本を頼むということです」

 胸奥にあるのは海原に散った同期の思いだ。

 【用語解説】レイテ沖海戦 昭和19年10月下旬にフィリピン・レイテ島周辺海域で繰り広げられた日米両軍の大規模海戦。米側はフィリピン上陸と奪還、日本側はその阻止と、南方からの戦略物資の輸送経路確保を目指した。日本海軍の連合艦隊が総力を挙げて戦ったが、空母をすべて失うなど壊滅的打撃を受けた。飛行機ごと敵に体当たりする神風特別攻撃隊が初めて出撃した戦闘としても知られる。

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