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戦後74年「日本の後を頼む」96歳元海軍中尉、特攻同期の思いを次世代へ

レイテ沖海戦から生還した加藤昇さん。現在、サービス付き高齢者向け住宅で単身暮らす=京都市山科区(矢田幸己撮影)
レイテ沖海戦から生還した加藤昇さん。現在、サービス付き高齢者向け住宅で単身暮らす=京都市山科区(矢田幸己撮影)

 史上最大の海戦といわれるフィリピン・レイテ沖海戦で重巡洋艦「最上(もがみ)」に乗艦し、幾多の難局をくぐり抜けた元海軍中尉、加藤昇さん(96)=京都市山科区。常に心にあるのは、最期の日を前に童謡を口ずさみ特攻出撃した同期らの姿だ。「後を頼む」。仲間に託された思いを次世代へとつなぐ。(矢田幸己)

 旧日本海軍の艦隊戦力が事実上壊滅したレイテ沖海戦で九死に一生を得た。艦上の情景がいまも脳裏に浮かぶ。

 昭和19年10月25日未明、最上はスリガオ海峡で米艦隊の集中砲撃を浴びた。当時は艦載機の士官搭乗員として乗艦していた。飛び散った火の粉でのど元を焼かれた乗組員、血で赤く染まった甲板…。艦上は戦場と化したが、自身の任務を遂行するのに必死だった。

 「艦と乗員は一蓮托生(いちれんたくしょう)と教えられました。戦時下で怖いなんて感情は湧かないようになるんです。あっちこっちに遺体が転がっていましたが、伝令に走り回っていたので気にする余裕はありませんでした」

 最上の沈没寸前、救援のために接舷された駆逐艦「曙(あけぼの)」に乗り移り、一命を取り留めた。

 「今となっては運がよかったとしかいいようがない。最上には1200人ほどが乗っていたと思いますが、生き残ったのはごくわずかじゃないですか」

 息つく間もなくフィリピン北部のキャビテ(カヴィテ州)軍港へ転戦。上官から命じられたのは、250キロ爆弾を搭載する水上偵察機「瑞雲(ずいうん)」への搭乗だった。機長として米輸送船団を爆撃する任務に就いた。

 「(高度)千メートルやそこらでは(爆弾は)命中しません。気がせくのか、操縦席に座る部下がさっさと投下したがるのを『まだや』と。500メートル地点まで降下し、『よーい、てっ(撃て=発射)』ですわ」

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