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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第3章 維新回天の原動力(3)思いは松下村塾でつながれた

楠木正成・正季の生き方を象徴する「七生滅賊」の掛け軸。松陰は謹慎中、この言葉を励みにした=山口県萩市の松陰神社(宮本雅史撮影)
楠木正成・正季の生き方を象徴する「七生滅賊」の掛け軸。松陰は謹慎中、この言葉を励みにした=山口県萩市の松陰神社(宮本雅史撮影)
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 長州藩で維新の志士を多く育てた吉田松陰を祭った松陰神社(山口県萩市)。この境内に、松陰が密航(未遂)の罪で謹慎した「吉田松陰幽囚(ゆうしゅう)ノ旧宅(きゅうたく)」があり、うち3畳ほどの一室が幽囚室と呼ばれる。松陰はここで若者に講義をし、後に松下村(しょうかそん)塾に発展した。

 幽囚室には「三餘讀書(さんよどくしょ)」「七生(しちしょう)滅賊」と書かれた1幅の掛け軸が掲げられている。松陰が安芸国(あきのくに)(広島県)の木原松桂に依頼した書の複製で、実物は収蔵庫に保管されている。

 「三餘讀書」とは一般的には「読書三余」として知られ、冬、夜、雨の3つの「餘=余り時間」を無駄にせず、学問に励む意味。「七生滅賊」は楠木正成(くすのきまさしげ)、正季(まさすえ)兄弟が湊川の戦いでの最期に意思を確認し合った言葉で、「7回生き返るとも朝敵を滅ぼす」という誓いだ。

 もともとは二本一対の幅物を「松陰が一本にしたと思われる」(松陰神社の上田俊成名誉宮司)。

 松陰が記した『続二十一回猛士説』には、幽囚室でこの書を〈日夜優悠として其の間に坐臥(ざが)す〉とあり、これらの言葉を励みに精進していたことが分かる。

 松陰神社の収蔵庫には尊攘(そんじょう)派の公卿(くぎょう)、大原重徳が書いた『七生滅賊』の掛け軸も保管されている。権禰宜(ごんねぎ)兼上席学芸員の島元貴氏は「塾生が『松下村塾に掲げられているのを見た』と書き残していることから、松陰先生が塾生に説いていたと想像できる」と言う。

 松陰は、松下村塾に身分や階級に隔たりなく塾生を受け入れ、久坂玄瑞(くさか・げんずい)や高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋ら、松陰の思想や意思を受け継ぐ維新志士を世に送り出した。つまり、正成の思いをもつないだのだ。

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