PR

ライフ ライフ

【書評】『回想の伊達得夫』中村稔著

 ■戦後詩集の名編集者描く

 伊達得夫(だて・とくお)は昭和23年、出版社「書肆(しょし)ユリイカ」を設立。戦後に芽吹きつつあった若き詩人たちに着目し、彼らの最初の詩集を出版した。その一人で、友人だった著者が、伊達の人間像を描いている。

 伊達は勤めていた出版社で、自殺した詩人、原口統三の遺稿を『二十歳のエチュード』として刊行。このとき著者は原口の友人として初めて伊達に会う。同書はベストセラーとなり、伊達はその紙型(印刷するための鋳型)を持って独立。ユリイカ版『二十歳のエチュード』を刊行した。この出版をめぐる生々しい経緯も本書に記されている。

 ユリイカの仕事場は、東京・神田神保町の路地裏のビル2階にあった。伊達は詩誌『列島』を手伝うという名目でここに入り込み、勝手に自分の仕事を始めたという。その結果、わずか10坪の空間に昭森社、ユリイカ、思潮社という戦後を代表する詩の出版社が同居することになる。ちなみに、このビルの1階にあった喫茶店〈ランボオ〉(現在の〈ミロンガ〉)で働いていたのが後の武田百合子(作家、武田泰淳夫人)だった。

 伊達はこのビルの向かいにある喫茶店〈ラドリオ〉を「応接室」として、若い詩人たちと会い、彼らを励ました。

 「伊達得夫という人は頼まれると嫌とはいえない人であったといま私は考えている。そういう意味で彼は多くの人から頼まれ、嫌とはいえない重荷を始終かかえていた。だから彼はいつも憂鬱そうだったし、憮然(ぶぜん)としていたのだ、と私は考える」

 第2部で、その重荷の背景に伊達の戦場での体験があったことが示唆される。

 伊達は『戦後詩人全集』を刊行し、詩誌『ユリイカ』を創刊した(のち青土社が刊行)。詩人、中原中也の研究に寄与し、忘れられた存在だった小説家、稲垣足穂(たるほ)に光を当てた。

 そこまで詩の世界に尽くしても、伊達は報われなかった。著者の勝手で伊達が煮え湯をのまされたエピソードは、岡書院の岡茂雄が柳田国男に「本屋風情」とそしられたことを想起させる。伊達は志半ばにわずか40歳で病死したが、書肆ユリイカの本はいまも残る。そして、若い詩人や小さな出版社に勇気を与えてくれる。(青土社・1800円+税)

 評・南陀楼綾繁(ライター、編集者)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ