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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第3章 維新回天の原動力(2)黄門さまが伝えた尊王思想

同じく義烈館にある義公(徳川光圀)木像(森山朝光作)=水戸市(酒巻俊介撮影)
同じく義烈館にある義公(徳川光圀)木像(森山朝光作)=水戸市(酒巻俊介撮影)
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 水戸学の礎となったのが、皇室の歴史を大変尊んでいた光圀が始めた『大日本史』の編纂(へんさん)だ。中国の『史記』にならって人物中心に編纂された『大日本史』は、天皇や皇族、忠臣義士たちの業績について、全国から史料を集めて徹底的に史実として検証し、精緻を極めた。

 『大日本史』の編纂には水戸藩の多大な労力が費やされ、完成したのは250年以上後の明治39(1906)年。神武天皇から後小松天皇まで100代にわたる天皇の治世(ちせい)を全402巻にまとめた大事業となった。正成も忠臣の一人として収録されている。

 『大日本史』の精緻な編纂のなかで、日本という国の歴史を天皇の存在で把握する考え方が生まれ、それが水戸学の基盤となった。茨城県立歴史館の元首席研究員、木下英明さんは「精緻な検証同様、確認や確証を重ねるのが水戸学だ」と語る。

 光圀を起点とする尊王思想、つまり水戸学は藩内に広まり、水戸藩士は水戸学を背景に尊王攘夷運動の先頭に立つ。

 幕末になると、水戸藩士の不満は爆発する。幕府が水戸藩士ら尊王攘夷派を弾圧した安政の大獄をきっかけに決起し、大老・井伊直弼(なおすけ)を襲撃したのだ。桜田門外の変である。藩士たちは粛清されたが、これらの動きは、後の明治維新につながる。正成の思想は光圀を経由して維新の志士たちを鼓舞した。

 水戸藩士のほかにも水戸学に大きく影響を受けた維新の志士がいた。吉田松陰である。

 江戸時代末期の嘉永4(1851)年12月から水戸に滞在した松陰は、後期水戸学の中心人物、会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)らと交友を深めた。1カ月ほどの滞在で水戸学の神髄に触れた松陰は友人に宛てた手紙にこう書いている。

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