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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第3章 維新回天の原動力(2)黄門さまが伝えた尊王思想

徳川光圀を祀る常磐神社の義烈館に展示されている『大日本史楠正成伝』=水戸市(酒巻俊介撮影)
徳川光圀を祀る常磐神社の義烈館に展示されている『大日本史楠正成伝』=水戸市(酒巻俊介撮影)
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 湊川神社(神戸市中央区)にある楠木正成(くすのき・まさしげ)の墓碑は江戸時代末期、吉田松陰や西郷隆盛ら長州や薩摩、土佐などの尊王派志士たちが、京や江戸に上る際に必ず立ち寄った場所だ。墓碑を建てたのが水戸黄門こと水戸藩2代藩主の徳川光圀(みつくに)であることはよく知られている。

 〈嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)〉

 そう刻まれた碑文は光圀の直筆で、裏には中国の儒学者、朱舜水(しゅ・しゅんすい)の〈楠公諱(いみな)正成は、忠勇節烈にして、国士無双なり〉の一節がある。舜水は異国の人ながら正成を崇敬していた。

 光圀が墓碑を建てるほど正成を崇敬したのは、たとえ不遇となろうとも後醍醐(ごだいご)天皇に忠義を尽くした生き方に共鳴したからだ。若いころ放蕩(ほうとう)を尽くした光圀は『史記』の伯夷伝(はくいでん)で義を貫く生き方に感化され、考えを改めていた。

 さらに光圀自身、後の勤皇思想に通じる考え方を持っていた。それまでどちらかというと「兵法家」として認知されていた正成だったが、光圀が生き方を紹介して墓碑を建てたことで、そのイメージは「忠臣」へと一変した。

 幕末に勤皇思想を抱いた維新の志士たちが、競うように墓碑に参ったのも自然のことといえよう。

 光圀が幕末の志士たちに影響を与えたのは、正成の墓碑を建てたことだけではない。光圀がルーツとされる水戸学も志士たちの尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。

 水戸学は儒学思想を中心に神道や国学を取り入れた尊王論を核とした学派で、前期と後期でその趣が異なる。前期水戸学は天皇を尊び、次いで幕府を敬う「尊王敬幕」という学問として知られていたが、後期水戸学になると皇室の尊厳を説いた尊王思想として広まった。

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