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【話の肖像画】バレエダンサー・熊川哲也(47)(1)「眠れる森の美女」に感動

自作「マダム・バタフライ」の初演を9月に控え、主演ダンサーの矢内千夏(左)の指導に熱が入る(酒巻俊介撮影)
自作「マダム・バタフライ」の初演を9月に控え、主演ダンサーの矢内千夏(左)の指導に熱が入る(酒巻俊介撮影)

 〈3歳のとき、父親の勤め先が札幌に変わったため北海道旭川から転居。バレエとの出合いは10歳だった。両親も2つ上の兄もバレエとは無縁という家庭だった〉

 当時、札幌に住んでいました。祖父の家が近所にあり、いとこたちが北海道滝川でバレエを習っていて、彼らが札幌に転居後もバレエを続けたいという願いがきっかけで、祖父が自宅横の花畑にレッスン場を建てました。これがバレエとの出合いです。

 〈いとこたちとは年齢も近く、自然とレッスン場に出入りするようになった〉

 当時8歳ぐらいだったと思います。最初はお遊戯に毛が生えたぐらいにしか映らなかったのですが、次第に自分も習ってみたくなり、小学校4年生のときに始めました。

 兄にも「一緒にやろうよ」と誘いましたが、まったく見向きもしませんでした。父は「男は男らしくするものだ」と反対し、「バレエなんて、やめさせろ」と母に文句を言っていたようです。

 〈最初は反対していた父親も、バレエの発表会には発売されたばかりのビデオカメラを提げ、ほぼ欠かさず見に来るようになっていた〉

 音楽家を目指す場合、幼いときに始めないと絶対音感は身につかないといわれますが、バレエを始める年齢として10歳は遅くも早くもないと思います。筋肉がついて骨格ができあがる大人の体になる前でしたから、本格的にバレエを始めるには良いタイミングでした。

 〈習っていた野球や剣道は途中でやめてしまい、結局、バレエだけが続いた〉

 とにかく体を動かすことが好きで、楽しいクラブ活動のような感覚で、バレエのレッスン場の雰囲気も好きでした。ただ子供の頃はとにかく落ち着きがなくて、いたずらもよくしたし、へ理屈もこねるので、よく先生には怒られましたね。

 バレエに初めて感動した瞬間は今もよく覚えています。男性ダンサーのゲネプロ(通し稽古)を、観客席のいちばん前で、いとこと2人で舞台にかぶりついてみていたときです。

 チャイコフスキーが作曲した「眠れる森の美女」で男性がソロ(1人)で踊る曲を聴いたときに、なんて格好良い音楽なのだろうと子供ながらに心を動かされ、気がつけば音楽に合わせて大きな声でメロディーを口ずさんでいました。チャイコフスキーの音楽に初めて触れたあの時の出合いは、とても記憶に残っています。(聞き手 水沼啓子)

【プロフィル】熊川哲也(くまかわ・てつや) 昭和47年、北海道旭川生まれ。10歳でバレエを始める。62年9月、高校1年のときに訪英し、ロイヤル・バレエ学校に入学。平成元年1月、ローザンヌ国際バレエ・コンクールで日本人初の金賞を受賞。同年2月、英ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団。5年5月、異例の早さでプリンシパルに昇格。10年10月、同団を退団。翌11年1月、Kバレエ カンパニーを設立。24年1月、Bunkamuraオーチャードホール芸術監督に就任。25年4月、紫綬褒章受章。

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