PR

ライフ ライフ

【話の肖像画】マラソンランナー・君原健二(78)(8)円谷と走った銀メダル

前のニュース

 〈昭和43年1月9日、「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」の遺書を残して亡くなった円谷幸吉の自衛隊葬に、君原健二とコーチの高橋進が連名で打った、弔電が届いた。「ツブラヤクン シズカニネムレ キミノイシヲツギ メキシコデ ヒノマルヲアゲルコトヲチカウ」〉

 文面は高橋が考えたものです。私には相談もなかったと思います。私はまだ、オリンピック代表に選ばれたわけでもなく、そんな気持ちにはなれませんでしたから。ただ、実際にメキシコ五輪でマラソンのスタートラインに立ったときに、「このスタートに本当に立ちたかったのは、円谷さんだ。今日は、円谷さんのために走ろう」と、そう思ったのです。

 〈海抜2240メートルの高地で行われたメキシコ五輪のマラソンは、過酷なレースとなった。優勝したエチオピアのマモ・ウォルデのタイムは平凡な2時間20分26秒。ローマ、東京に続く3連覇を狙った同じエチオピアの英雄、アベベ・ビキラは、17キロ地点で棄権した。日本からは宇佐美彰朗、佐々木精一郎、君原の3人が出場した。代表選考会のタイムでは采谷義秋が君原を上回ったが、高橋が五輪経験者起用の必要性を熱弁して君原を押し込み、君原はニュージーランドのマイケル・ライアンの猛追を振り切って2位となった〉

 レースは本当に厳しくて、走り出してからは、円谷さんのことも忘れていました。

 これは不思議なことなのですが、私は競技場近くで後ろを振り向いたのです。そこに激しく追い上げてくる選手の姿がありました。普段の私は、レース中は極力、振り返りません。遅くなりますから。

 これは後で思ったことですが、円谷さんの無念、教訓が私を振り返らせたのではないでしょうか。円谷さんは、小学生のときに後ろを振り返って、お父さんに厳しくしかられたことがあり、その後は決してレース中に後ろは見なかったそうです。

 東京五輪の国立競技場のトラックで、円谷さんが振り返って英国のヒートリーの位置を確認していれば、彼に追い抜かれることはなかったかもしれない。そういう無念と教訓です。

続きを読む

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ