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【書評】『めぐりながれるものの人類学』石井美保著

 ■学問、人生の切実な課

 理論的な入門書ではなく、思い思いにつづられたエッセーの体裁を取りながら、人類学がいったいどんな学問であるかが、じわじわと感じ取れる。文化人類学者が、どこで、何を調査しているか、常日頃考えていることまでが語られているのだ。

 著者のフィールドはタンザニアやガーナやインドで、宗教実践や環境運動を研究テーマにしている。こうした地球の裏側といっていいような地域における、私たちの暮らしから隔たったようにみえる社会でも、また彼らの日々の営みがあり、人類学者は日常にも目を向けていることがわかる。

 たとえば、27編の短い随想のうち「隅っこの力」では、エディンバラの幼稚園の陰影がある空間から、京都大学のプール近くの「お化け」が出そうな一角、ガーナの精霊の杜のたたずまい、博物学者・民俗学者、南方熊楠の「やりあて」という概念へと、まさに「めぐりながれる」ように話題が連鎖していく。

 取り上げられた書物の数々からは、人類学の現在の課題が見えてくる。しかも、領域外と思われる書物への言及から視野の広さもうかがえる。

 「台所の哲学」という一編では人類学者、川田順造の『聲(こえ)』のほかに、武田泰淳の『ひかりごけ』、宇野千代の『生きて行く私』、向田邦子の『父の詫(わ)び状』を取り上げながら、「生きること」と「食べること」の現場が鮮やかに映し出されるのだ。

 寺田寅彦、中谷宇吉郎、南方熊楠を登場させた「科学の詩学へ」にはこんな一節がある。

 「(彼らは)科学的研究によって『不思議』の領域を縮減しようとするのではなく、科学的研究の深化にともなって『不思議』への感性をよりいっそう研ぎ澄ませていったようにみえる」

 そうした「流体的で創発的な領野の広がりを予感させる」科学の詩学に、人類学は隣接しているに違いないし、民俗学もまた寄り添うものである。

 不測の事態に対して問いかけられる「Why(なぜ)」と「How(どうして)」の相克(「ふたつの問い」)は人類学のみならず、すべての学問、いや、あらゆる人生にとって切実な課題であるに違いない。(青土社・1900円+税)

 評・畑中章宏(民俗学者)

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