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【話の肖像画】マラソンランナー・君原健二(78)(3)ダイヤの指輪 悲劇の序章

 しかしそのうちに自分もチームの一員であるとのメンバー意識が芽生え、せめて邪魔にならないよう、私なりに強くならなくてはいけないという責任感が生まれました。強くなるためには練習をするしかない。全体の練習が終わった後、グラウンド1周でも半周でも余計に走ろう、せめてあの電柱まで行って折り返そう。そうした小さな努力を積み重ねることがだんだんできるようになって、少しずつ力がついていったように思います。

 〈次第に頭角を現した君原は36年、秋田国体の5000メートルで3位となった。2位は円谷。2人ともこれが、初めて全国大会で入賞したレースとなった〉

 印象に残っているのは、円谷さんが予選からすごい頑張りで走ったことです。普通は決勝に力をためてゆっくり走るものなのですが。その時も会話は、まだありませんでした。私は人と話すことが苦手なものですから。38年には翌年の東京五輪を目指すニュージーランド遠征でご一緒しました。2カ月近い遠征だったのですが、ここでも会話は、あまりしていません。びっくりしたのは、遠征の帰りに香港に寄った際、円谷さんがダイヤモンドの指輪を買ったことです。円谷さんには指輪を渡す、お目当ての人がいたのですね。

 当時は日本人が外国へ行くことはまだ少なくて、会社も心配して一時金みたいなものをいただいておりました。それで私も触発されて指輪を買ったのですが、そういうお相手がいなかったので、おみやげとしておふくろに渡しました。

 〈この指輪が、後の悲劇につながろうとは、君原はもちろん、円谷も知らない。東京五輪は間近に迫っていた〉(聞き手 別府育郎)

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